イラスト by リーディング&カンパニー
矢沢永吉の自伝、「成りあがり」の構成や編集を手がけたことなどで知られ、コピーライターとして活躍する糸井重里さんが10年以上前に書いた「インターネット的」という本が、現代のインターネット社会の根本を的中させて、再び話題になっているそうですが、この10年、SNSやスマートフォンなど様々なモノが登場し、私たちの生活は大きく変化しましたが、人間の本質的なところは一切変わることはありませんでした。
東大名誉教授の養老孟司先生によれば、類人猿の時代から現在まで、人類が進化すればするほど、「毛」が減ってきているそうで、毛は「けもの」として気配を残す一つのシンボルみたいなものらしいのですが、今まで抑えられてきた人間の感情がインターネットによって一気に爆発することによって、僕たちはどんどん「けもの」に、そしてシンプルな原始時代の生活に戻り始めているのかもしれません。
↑インターネットという世界の中で、僕たちは感情むき出しの原始時代のような生活に戻っていく (wikipedia)
ソーシャルメディア・マーケティングから企業のメディア構築まで何をするにしても、インターネットの両側にいるのは豊かな感性を持った人間であり、インターネットというパイプを通じて人と人がしっかりリンクしていなければ、何をやってもほとんど意味がありません。
インターネットが始まる以前、人間という生き物は企業文化、地域の文化、そして国の文化など、文化をどんどん「重ね着」することで、どんどん視野が狭くなり、身動きが鈍くなっていくもので、今までは「当社はこういうことをする会社」という印象を外部に配信していくことが理想とされてきましたが、すべてが「インターネット的」に進む時代は、人と人がインターネットを通じてリンクするため、「この人たちがいる会社だから、いいんだよな」と思われる会社の方が圧倒的に好かれるのではないでしょうか。
↑「インターネット的」な世界では、その会社が何をやっているかよりも、「どんな人」がいるか (opacity)
例えば、最近では地方でも都会でも商店街がどんどん寂れていっていますが、スナックや洋品店、そして、美容室などはどこの地域でも寂れずに残っています。
これらの業種に共通することは、チェーン化できないことで、ママやマスターなど、「ひと」とコミュニケーションを取ることを楽しみに訪れる人たちが、お客さんになっていることなのではないでしょうか。
↑オンラインでもオフラインでも人が「リンク」している商売はなくならない (Dave Fayram)
Web上でメディアを運営するのも同じことで、重要なのはコンテンツを作成しているのは「誰か」ということであり、これからのメディアは個々の編集者の一貫したメッセージ性や熱さみたいなものが、不可欠になってくるように思います。
つまり、「ひと」が中心という意味ではスナックとあまり変わりませんが、コンテンツ一つにしても「こんなもんで、いいだろ。」という人たちが集まるメディアは、どんどん生き残れなくなっていきます。
↑「ひと」が中心にならないメディアは生き残れない(philhearing)
また情報の価値がほぼ無料になって、広告に頼る収益モデルがどんどん難しくなってきますが、インターネットの世界ではリアルの世界以上に「わざわざ」という言葉にシビアになる必要があり、ただ「自分がこう思う」、「この業界ではこんな出来事があった」など、朝のニュースみたいなコンテンツを作るのではなく、「なぜこのようなことが起こっているのか?」、「なぜこの国の国民はこんなに怒っているのか?」といったような社会的な文脈を解説できる池上彰さんのようなコンテンツ・クリエイターが必要とされます。
↑新しいメディアでは解説者は王様 (Joseph Hill)
そもそもメディアのあり方などは、収益化をしなければならない「売る側」から物事を考えがちですが、情報を消費するユーザー側からすれば、そのメディアがマネタイズできるか、できないかなんてどうでも良い話で、情報がユーザーに届いたところで、初めてその情報の価値が決まっていきます。
回転寿司を想像すれば分かりやすいですが、ひたすら寿司を握っている職人がいて、ベルトコンベアに乗ったお寿司が店内をグルグルと回りますが、この寿司を握る速度をいくら速くしようとベルトコンベアを改良しようと、お客さんには「どうでもいいこと」で、店内にはただ干からびたお寿司がグルグル回っているだけです。
「売る側」、つまり提供する側がこだわらなければならないのは、寿司の美味さや店の雰囲気、そして使う材料の新鮮度だというところにまだ多くのメディアが気づいていないのではないでしょうか。
↑こだわならければならないのは、ベルトコンベアの速さではなく、寿司の美味さ (Greg Williams)
もしかすると、日本企業の多くはアメリカの経営方式を取り入れたことでおかしくなり始めたのかもしれません。
欧米の人たちは数字や理論で説明できないことがあるのではないかと、MBA的な経営に対して今ごろ疑問を抱き始めていますが、日本人はもともと数字や理論以外で物事を”伝える力”を持っていました。
よく日本人は、ちゃんと言葉にして説明するのが苦手だから、国際社会では上手くやっていけないと非難されますが、実際はそうではなく、日本人は言葉にしなくても物事を伝えられる人種であり、むしろ言葉にするのがものすごく苦手な民族なのではないでしょうか。
↑以心伝心「日本人は言葉にしなくても、物事を伝えられる」(Ben Raynal)
社会心理学者の山岸俊男さんの科学的な実験によれば、相手をだましたり、裏切ったりするプレーヤーよりも、正直なプレーヤーの方が大きな利益を得られるそうで、糸井重里さんも「正直は最大の戦略。僕らはただ正直にやっていればいい。わざわざ心を痛めて、”勝つための権謀術数”を考えることもムダになるということですから。」と述べている通り、ウソをつきやすいインターネット時代だからこそ、僕たちはもっともっと正直にいかなければならないのかもしれません。
↑インターネット時代は正直が最大の戦略 (alobos Life)
政府の隠し事や企業の不祥事、今まで差別されてきた情報や世間からもみ消されてきた話題など、グロテスクからエロティックなものまで、人間社会に存在するイメージや想いがこれからどんどん「インターネット」という場所に集まってきます。
人類はついに禁断のパンドラの箱を開けてしまったのかもしれませんが、これが良い方向に進むのか、悪い方向に進むのか、それとも論理や人の手によって規制がかけられるのか、それは誰にも分かりませんが、このような新しい時代の初めに生きていられることを非常に嬉しく思うことも事実です。
マーケティングにしても、ブランディングにしても、企業や個人がウソやハッタリを実行しやすいインターネット時代だからこそ、僕たちは何も隠さずもっともっと正直にいくべきなのかもしれません。
もともと、それが人間の本能なのですから。