May 17, 2016
結局、映画やドキュメンタリーなんて、全部洗脳のための大ウソ「アンジェリーナ・ジョリーが、年間8億円をかけて世界を旅しながら子供を育てる本当の理由」

イラスト:リーディング&カンパニー

「アイデアと移動距離は比例する」という言葉があります。

人間は生きるために環境の変化に対応しようとするため、短い期間に移動を繰り返すと、景色、街並、空気、気候、人、言葉、音、色、そして匂いなど様々なものによって五感が刺激され、この五感が極限に敏感になった状態こそがアイデアを生み出す「クリエイティビティの源泉」になると言われますが、ここ数十年で世の中に溢れる情報の量は数百倍以上に増え、とにかく情報を取り込めば偉くなった気になる「情報デブ」がどんどん増えてきています。

2015年の国土交通省のデータによれば、一年間に海外に行く日本人の数は約1,621万人です。

しかし、これは他の先進国からすれば相当低い数値で、日本と同じ島国で、四方を海で囲まれているイギリス人が一年間に平均約1.12回、海外に行っているのに対し、日本人はわずか約0.12回しか海外に行っておらず、この数字を見ただけでも、どれだけ日本人が引きこもっているかがよく分かります。(人口の割合を考慮して計算した場合)


↑バーチャルの世界だけで、すべて分かった気になる「情報デブ」がどんどん増える。

もちろん、隣国へのアクセスのしやすさなど、日本とイギリスではそれなりに違いはありますが、地球の裏側まで仕事をPCに入れて持っていける時代に、日本人はあまりにも引きこもり過ぎです。

インターネットやテレビで「インフォメーション」はたくさん手に入っても、そこに本質を見極める「インテリジェンス」は存在せず、スクリーン上で何もかも知った気になる「情報デブ」になってしまうと、いざ本当の危機が訪れた時に身動きが取れなくなってしまうと言います。(1)

確かにインターネットは世の中に大きな影響を与えているのは間違いありませんが、自分の好みの情報に没頭しやすく、フェイスブックなどで「いいね!」と反応を返すことで、自分のスタンスを瞬時に決めてしまうため、自分と意見が違う情報は拒否するという傾向に陥ってしまいます。


↑「いいね!」を押すことで、自分の好む情報しか見なくなる。

また、東京大学名誉教授の養老孟司さんは、ITや書籍によって、「素直に驚くこと」がどんどん邪魔されていると指摘しています。(2)

本当に有益な情報とは、自分の細胞を通じて手に入れた情報や「実際に行って見てきた情報」であり、移動距離や海外への渡航回数を増やし、精度の高い有益な情報を持つようになればなるほど、不思議と周りにも同じような人達が集まってくるようになるため、まだ表面化していない危機を自然といち早く察知し、行動することができるようになっていくようです。


↑細胞を通じて得た情報は、表面化していない危機を自然と回避させる。

国という境界線がどんどん薄くなり、世界が猛烈な勢いで変化しているにも関わらず、未だに引きこもり続ける日本の状況は、明治維新を目前に控えた江戸時代末期の日本とよく似ています。

約150年前、そんな日本に革新をもたらしたのは、海外の動向を注意深く観察し、実際に海を渡って、知識や経験を得た20代〜30代の維新志士で、もし彼らが生まれた場所で生涯を終え、外の世界を知ろうとしなかったら、おそらく今の日本はなかったのではないでしょうか。


↑彼らが外の世界を知ろうとしなかったら、今の日本はなかった(wikipediaより)

また、3年間かけて、車で116ヶ国を旅した投資家のジム・ロジャースは、母国に帰国してからの6週間よりも、母国を離れていた3年間の方が母国について多くのことを学べたと述べています。

やはり、僕たち日本人は自分たちの暮らしている国のことをあまりにも知らな過ぎますし、サッカー選手を引退し、世界100ヶ国以上旅した中田英寿さんも、世界をくまなく周った上で、日本のことをもっと知りたくなったとして、その後、6年半かけて47都道府県を旅し、現在は日本の伝統文化を世界に伝える活動に力を入れています。(3)


↑世界を知ったら、もっと日本のことが知りたくなった。

ボーイング社の長期予想によると、現在世界の空を飛び回っている約1万9,000機の飛行機(民間商業機)は、20年後には50%増の3万5,000機になると言われ、また、UNWTO(世界観光機関)の調査でも、2020年には、現在約8億人の国際交流人口は2倍の16億人に増加すると予測されています。(4)

イージージェット、エアアジア、そしてライアンエアーと、ほんの少し前まで聞いたことのなかったような航空会社が予約の手間や食事などを必要最低限にカットして、航空券の値段を一気に下げたことで、インターネット上のデータや書籍を見て「グローバル」という言葉を分かった気になるだけではなく、人間の体ごと地球上の様々なところに移動できるインフラが低価格で整備され始めました。


↑聞いたことのないような航空会社が、航空券の値段を一気に下げた。

1990年代の終わりから始まったグローバリゼーションとは、大規模なビジネスを展開する多国籍企業が中心でしたが、いち個人が生活する上で必要な音楽、映画、書籍、そして書類等などはよく考えればすべてデータ化し、ハードディスク一個に収めることができますし、定期的にコミュニケーションを取っておきたい人間関係は、SNSやスカイプで補えることを考えれば、定期的に日本を離れても、いつも通りの日常をキープすることは結構簡単にできたりします。

そういった意味で、IT革命とLCCによる航空革命がそろったところで、ようやく個人レベルのグローバリゼーションがスタートできると言えるのかもしれません。(5)


↑IT革命と航空革命がそろったところで、ようやく個人のグローバリゼーションがスタート。

未来学者のアルビン・トフラーやジャック・アタリが指摘しなくても、21世紀は国家や企業の時代ではなく、「個人の時代」であることは間違いありません。

クリエイターの高城剛さんは、この時代にずっと同じ街にいるクリエイターの感性を信用しないと述べていますし、ハリウッドスターであるブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリーは不仲説が流れる前は6人の子供たちを連れ、年間8億円というお金をかけて、世界中を旅しながら暮らしていました。当時、この理由を
次のように述べていました。(6)

「もし旅をすることが可能なら、子どもを育てるには、それがベストな方法だと思う。」(アンジェリーナ・ジョリー)

「素晴らしい文化や異なる宗教、生活様式に子どもたちを触れさせる。それは、最高の教育だと思う。」(ブラッド・ピット)


↑8億円かけても、もし可能なら旅をしながら子育てをするのがベストだと思う。  

例えば、平和一つを考えてみても、国や様々な組織がいくら平和の「論理的な正しさ」を競い合ったところで平和には繋がりませんし、実際の社会は数学や物理の世界と違って「論理的な正しさ」がどちらも正しい可能性があり、答えが一つではないため、結論をいくら擦り合わせても、文化や歴史などの様々な背景が違えば、上手く伝わりません。

また、一度グーグルの画像検索で「Peace」「War」というキーワードを検索してみて下さい。

「War」と検索すれば、戦車や兵士など、世界の戦争の様々なイメージが出てきますが、「Peace」と検索しても、ピースサインやよくわからない記号が出てくるだけで、世界には統一された「平和のイメージ」というものがなく、それぞれの国や宗教が独自の「平和のイメージ」を持っていることがよく分かります。


↑世界に共通した「平和のイメージ」は存在しない。

そもそも結論を擦り合わせて平和を求めるのではなく、相手と自分の「前提を擦り合わせる」ことを目的として、個人一人ひとりが世界の人とコミュニケーションを取っていかなければなりませんが、観光客を日本に呼び込んでコミュニケーションを取ろうとする受け身の状態よりも、自ら海外に出向き、コミュニケーションを取ろうとする方が、平和を考える上で効果的なのは言うまでもありません。(7)

実際、戦争には洗脳やプロパガンダというものが付き物です。

人間は「自分で経験できないことは、メディアを信じてしまう」という傾向があり、例えば商品やサービスは店頭に行って触ったり、体験してみれば、大体のことはわかりますが、災害や戦争というものはほとんどの人が体験することができないため、感覚的にメディアが発信する情報を鵜呑みにしてしまいがちです。


↑ 自分が体験できない戦争や災害はメディアの言うことを鵜呑みにしてしまう。

例え嘘でも、100回聞いたら、いつの間にか真実と思い込むようになると言われるように、映画やドキュメンタリーというものは、「ドラマになる」ように作られており、わかりやすい敵を作り、理解しやすい構図に当てはめられていくため、映画の最後に「この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません」と出ているにも関わらず、ストーリー立てられたイメージが個人の頭の中にしっかりとした歴史観を形成していってしまいます。


↑10年以上続いたベトナム戦争も、2時間ほどのわかりやすいストーリーとして映画化される。

また、この戦争映画というメディアには、ハリウッド俳優を雇ったりする莫大な資金が必要となるため、コストが回収できないような映画には予算が付かず、残念ながらユダヤ人虐殺を題材した映画が多い一方で、パレスチナ関連の映画が少ないのは、真実を伝えるというよりも、「ビジネス的な概念」が大きく関与していることも、しっかりと頭に入れておかなければなりません。

こうなってくると、どれだけCNNで海外のライブ映像が見られようが、著名なジャーナリストの新刊が日米同時発売されようが、「本当に価値のある情報」を手に入れるためには、「移動距離と真実を見る目は比例する」という言葉を信じて、体ごとその場所に移動するということが必要になってきます。

体ごと移動すれば、なにせ本当にその場所に行ったのですから、嘘をつく必要がなく、Webやテレビなどで最新の情報など追わなくても、自分の感覚で世界情勢を理解することで、自分の立ち位置をしっかりと見極められる力も自然と身についてくることでしょう。


↑ 実際、その場所に行ったのだから嘘をつく必要がない。

例えば、テロ一つに関しても、テロの目的が人々を恐怖に落し入れることならば、もうテロが起きた時点で、社会はテロとの戦いに負けているということになります。

仮にテロに打ち勝つことはできなくても、テロに負けることと、テロに屈しないことでは大きく意味が違い、日本国内で、テロや人質事件の話をする際、「テロ行為を肯定するわけではありませんが・・・」と前置きしないと、なかなか自分の意見を語ることが難しい空気があるのは、メディアが作り出した戦争やテロのイメージが社会に大きな影響を与えていることに他なりません。(8)

そういった中で勇気を持って反対意見や周りに合わせない発言ができるのは、少なくても日本を離れ、自らの五感を通じて世界を感じ、ウソをつく必要がないごくひと握りの人達だけなのでしょう。


↑ 移動距離と真実を見る目は比例する。

そもそも、イスラム教は殺人を厳しく禁じていますし、アラビア語の「イスラム」という言葉は、平和を意味する「サラーム」という言葉からきています。

特に中東イスラムの世界では、原爆を投下された広島・長崎への同情が強く、イラン革命の指導者のホメイニや、あの1993年のニューヨーク世界貿易センタービル爆破事件の実行犯とされたラムジ・ユセフ、またオサマ・ビン・ラディンも広島や長崎を引き合いに出してアメリカを批判します。(9)


↑イスラムという言葉は平和を意味する。

また、中東というと、現在は紛争やイスラム過激派のイメージが強いですが、歴史をたどれば、中東とは東西の文明が融合し、今日に至る文明の基礎を生み出した場所でもあります。

そのため、中東の人たちには祖先や文明に対する強い誇りがあり、いたいけな子供まで巻き込むようなテロ行為や過激派のやり方に一番腹を立てているのは、中東の人達自身なのでしょうし、日本人の道徳性を高く評価しているアラブやイスラムの人たちをスクリーン上で流れる様々なバイアスがかかった情報でしか判断できないのは、とても残念なことに思います。(10)


↑テロ行為や過激派のやり方に一番腹を立てているのは、中東の人たち自身。

地震には「防災」、病気には「予防」という言葉があるように、少し悲しいかもしれませんが、戦争も「いつか起こることを前提」に解決策を見つけ出していかなければ、権力者が戦争を始め、メディアやプロパガンダがそれを拡張させていく戦争経済と切り離された「平和産業」の概念を持つことは、難しいのかもしれません。

かつてホロコーストの跡地である、アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館の館長がドイツの若者に対して、「君たちに戦争の責任はない。でもそれを繰り返さない責任はある」と述べたように、歴史を学び、体ごと異国に移動して、平和の概念を擦り合せる「ピース・コミュニケーション」を行っていなかければ、結局はまた同じ過ちを繰り返していくことになるでしょう。(11)


↑ 君たちに戦争の責任はない、でもそれを繰り返さない責任はある。

戦争が終わって70年という月日が流れました。僕たちは今後、どれくらいの期間にわたって「戦後」という表現を使い続けることができるでしょうか。

近年、日本にも危険な空気が流れ始め、「憲法を変えなくても戦争はできる」と豪語する人も出てきましたが、もしかすると、2016年の現在は、数十年後の未来から見たら、「戦争前夜」だったと振り返る日が来るかもしれません。(12)


↑2016年はもう戦後ではなく、「戦争前夜」かもしれない。(Day Donaldson/Flickr)

伊藤 剛さんの
「なぜ戦争は伝わりやすく平和は伝わりにくいのか ピース・コミュニケーションという試み」
という本の中で、ある戦争体験者の方が、子供の頃に感じた戦争の空気を次のように語っています。(13)

「日本本土への空爆が始まる前、戦時下といっても、どこかお祭り騒ぎのようでした。戦地に向かう兵隊さんを見送って、“どこどこの国で勝利した”という新聞の見出しを見ては、みんなで喜んで万歳をしました。」

「不謹慎かもしれないですが、それはいまの時代で考えれば、アジアのどこかの国で開催されているサッカーの日本代表戦をテレビで観戦しながら、みんなで“勝った、勝った”と騒ぐことと似たような感覚だったのではないかと思います。戦争といっても、初めのうちはそんな感じだったのです。」


↑戦争と言っても当初は、ワールドカップのようなお祭り騒ぎのようだった。(Chris Hsia/Flickr)

政治学者のサミュエル・P・ハンティントンは、「西洋文明を救いうる唯一の道は瞑想である」と述べています。

不況が続き、改革やイノベーションなど、何もかも上手くいなかくなると、「日本とは何か?」、「自分たちは一体何者なのか?」、「今までどのように成功してきたのか」を再度考え直すようになってくると言われますが、投資家のジム・ロジャースが母国に帰国してからの6週間よりも、母国を離れていた3年間の方が母国について多くのことを学べたと述べたように、もし本当に自分たちのことを知ろうとするのならば、一度体ごと母国から離れなければいけません。(14)


↑自分が何者なのかを知るために、とにかく一度日本を離れる。

ちなみに、116ヶ国を旅したジム・ロジャースは、たくさんの国を旅行している人のほとんどが、飛行機で国から国へ飛んでいるだけだったとして、 本人はバイクや車の陸路で世界中を旅しました。

格安航空会社の登場により、かつては金持ちの代名詞であった飛行機にはお金のないバックパッカーが乗り、ジム・ロジャースのような金持ちが自動車やバイクで旅行を楽しんでいるという現象も起こっており、旅の目的やスタイルも時代と共にどんどん変わっていっています。


↑貧乏人が飛行機に乗り、金持ちは自動車やバイクで旅をする。

村上春樹さんは旅について、不便さは旅行を面倒なものにするが、そこにはまわりくどさがもたらす喜びが含まれており、旅先でなにもかも上手くいったら、それは旅行ではないとしています。

そして、村上春樹さんが日本からベトナム経由でラオスへ向かう途中、ベトナム人に「ラオスなんかにいったい何があるんですか?」と聞かれた時のことを次のように述べています。(16)

「そう訊かれて、僕も一瞬返答に窮しました。言われてみれば、ラオスにいったい何があるというのだろう? でも実際に行ってみると、ラオスにはラオスにしかないものがあります。当たり前のことですね。旅行とはそういうものです。そこに何があるか前もってわかっていたら、誰もわざわざ手間暇かけて旅行になんて出ません。」

「何度か行ったことのある場所だって、行くたびに“へえ、こんなものがあったんだ!”という驚きが必ずあります。それが旅行というものです。旅っていいものです。 疲れることも、がっかりすることもあるけれど、そこには必ず何かがあります。さあ、あなたも腰を上げてどこかに出かけて下さい。」


↑そこに中があるのか事前にわかっていたら、わざわざ手間暇かけて旅行などしない。

イビザの夕日を写真で見て満足するのか、各地域の料理や食べ物を東京に“お取り寄せ”して、本物を食べたつもりになって満足するのか、最近読んでいる宇宙兄弟というマンガの中に、宇宙に関して、知りたいことのおおよそ半分は、ネットや本で調べればわかるが、どこにも載っていない「もう半分」を知るためには、自分で考え出すか、経験するしかないと書いてありました。

まだまだ未知なことが多すぎる宇宙にしても、海外にしても、それはやはり同じことなのでしょう。

日本に住んでいる限り、飛行機に乗らなければ、外国には行けません。ロケットが宇宙に向かう時に受ける抵抗のように、ある一定の抵抗を乗り切れば、そこには未知の新しい世界が待っており、江戸時代末期の偉人が行なってきたように、その時代に生きた人たちが、その時々の感覚を次の世代に伝えていかなければ、日本という国はどんどん力を失い、最終的には滅びていくことになります。


↑若くて体力があるうちは、SNSなどに頼らず、どんどん動いて行動する 。

冒頭でも述べましたが、イギリス人が年間海外に行く割合は日本人よりも圧倒的に多いです。

イギリスの覇権はもう100年以上前に終わっているのに、未だにイギリスという国が世界で力を持っているのは、イギリス人の積極的に海外に行くという行動力が大きく影響しているのではないでしょうか。

ITやグローバリゼーションなど、様々な時代の言葉を聞き、意味を理解するだけではなく、それらを本気で楽しむ時代がもうすぐそこまで来ています。

最低限の荷物をコンパクトに収納したスーツケースとデータを詰め込んだハードディスクを持って、街から街からへ、そして国から国へ移動しながら生活する、これこそが“21世紀のラグジュアリー”なのかもしれません。

さぁ、スマホやPCを閉じて重い腰を上げ、どこかへ出かけましょう。

※今回の記事の前半では、高城剛さんの
「モノを捨てよ世界へ出よう」、中盤では伊藤 剛さんの
「なぜ戦争は伝わりやすく平和は伝わりにくいのか~ピース・コミュニケーションという試み~」
を参考にさせていただきました。実際にその場に行かなければならない大切さや、わかりにくい平和の概念がわかりやすく説明されていますので、ぜひ手に取ってみて下さい。

参考書籍: 1.高城 剛「モノを捨てよ世界へ出よう」(宝島社、2012年) P65〜P66 2.養老 孟司、C.W.ニコル「”身体”を忘れた日本人」 (山と溪谷社、2015年) Kindle P765 3.ジム ロジャーズ「冒険投資家ジム・ロジャーズ世界大発見」(日本経済新聞社、2006年) P370 4.高城 剛「人口18万の街がなぜ美食世界一になれたのか―― スペイン サン・セバスチャンの奇跡」(祥伝社、2012年) P30-32 5.高城 剛「70円で飛行機に乗る方法 マイルを使わずとも超格安で旅行はできる」(宝島社、2008年) P168 6.高城 剛「私の名前は、高城剛。住所不定、職業不明」(マガジンハウス、2011年) Kindle P425 7.伊藤 剛「なぜ戦争は伝わりやすく平和は伝わりにくいのか~ピース・コミュニケーションという試み~」(光文社、2015年) Kindle P205、458 8.白水社編集部「パリ同時テロ事件を考える」(白水社、2015年) P58 9.宮田 律「イスラムの人はなぜ日本を尊敬するのか」(新潮社、2013年) Kindle P933、 P1217、P1226 10.麻生 太郎「自由と繁栄の弧」(幻冬舎、2007年) P75 11.伊藤 剛「なぜ戦争は伝わりやすく平和は伝わりにくいのか~ピース・コミュニケーションという試み~」Kindle P2117 12.益川 敏英「科学者は戦争で何をしたか」(集英社、2015年) Kindle P166 13.伊藤 剛「なぜ戦争は伝わりやすく平和は伝わりにくいのか~ピース・コミュニケーションという試み~」Kindle P2363 14.高城 剛「私の名前は、高城剛。住所不定、職業不明」Kindle P946 15.ジム ロジャーズ「冒険投資家ジム・ロジャーズ世界大発見」P5 16.村上 春樹「ラオスにいったい何があるというんですか?」(文藝春秋、2015年) Kindle P1698

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