November 9, 2015
僕が20代最後の数時間に思うこと。

20代も残り数時間となりました。10代の最後にどうしてもニューヨークに行ってみたくて、僕の20代はニューヨークから始まりましたが、気づけば20代最後の数日はスペインのバルセロナに来ていました。

10年前のニューヨークでは、超大国アメリカに代表される世界中から集まった人々のパワフルなオーラを感じましたが、ここバルセロナでは、もう100年以上も建設が進められ、本当に良いものを作ろうと未だに完成の目処が立たないサクラダ・ファミリアや日本とは比べものにはならないくらい失業率(23%、若者は50%)に達しながらも、とにかく日々を楽しもうという人々の不思議なオーラを感じます。



振り返ってみれば、今年30歳になる僕は、20世紀(1985~1999)と21世紀(2000~2015)をちょうど半分ずつ生きてきたことになり、これからのライフスタイルや価値観を形成していく上でも、もの凄く大事な時期に差し掛かっているわけですが、その大きなヒントがこのバルセロナという街にはあるような気がしました。

スペインは20世紀の経済的価値感から見れば、もう潰れそうな国ですが、金銭的な価値観ではなく、心から人々を楽しませるストーリー・パフォーマンス、本当に美味しい食べ物、そして最大の魅力である街の人々の人間味など、何かと効率ばかり求めて頑張ってきた20代の僕が見落としていたものが、あちらこちらにあり、もしかするとこれが20世紀のお金という価値感に変わる、新しい21世紀の価値観なのかもしれません。


サクラダ・ファミリアにしても、人間が創り出せる最高のモノを神に捧げようとしたガウディは、いつ完成するのかと聞かれるたびに、「神は完成をお急ぎになりません」と答え、不運の事故で亡くなる前、最後に残した言葉も、「諸君、明日はもっと良いものを作ろう」だったそうですが、その一言が100年という時代を超えても、ガウディの意思が引き継がれ、今だに建設が続けられれる大きな理由なのでしょう。



そして、街のエンターテイメント、世界屈指の美食文化、ガウディの建設物を支えているのは、まぎれもなくバルセロナの「人」そのものであり、街の入り口にあるランブラス通りでは人が道路の真ん中を歩き、車や自転車は道の端を走ります。

これは物事がどんどん自動化されたり、効率を求めるチェーン店が増えていく中で、バルセロナの人たちはコーヒーひとつにしても、「誰が」そのコーヒーを入れるのかで味が変わってくることを本能的に理解しているのかもしれません。



そんなことを考えながら、20代最後の数日間はバルセロナの街をフラフラしているわけですが、そんな中、かつて矢沢永吉さんが「20代で苦労した者だけが、30代で夢の世界を見ることが出来る。」と言っていたのを思い出しました。

永ちゃん言わく、30代に入るにはパスポートがいるらしく、ほっておけば楽しく過ぎていく20代を一生懸命生きていないと、パスポートに”判”を押してもらえないんだそうです。まぁ、20代に好き勝手やっていた僕が、30代の”判”を押してもらえるかは分かりませんが、とりあえず今晩申請は出しておきます。通ったかどうかは、もう2、3年したら分かるのではないでしょうか。

20代最後の日は、ガウディの最高傑作サクラダ・ファミリアが窓から見えるホテルに泊まって、100年以上受け継がれる人々のエネルギーを肌で感じ取ってみることにしました。



30代最後の数日をどこで過ごすかはまだ分かりませんが、20代、30代、そして40代と歳を取るごとに若さを失い、型にハマっていくのではなく、10年という単位で自分のコンセプトをハッキリと明確していくことで、より彫りの深い、物語のある人生になっていくのではないかと思います。

そんな物語の第3章は「やっぱり人生は楽しむもの」だと教えてくれる街、バルセロナから。

/LAST_HOURS_OF_20S