ミャンマーのヤンゴンでは日本に6年間留学していて、現在は自分の会社を経営しているPhyo Aung さんの家に泊めていただいています。
ミャンマーは前からずっと来てみたい国のひとつでした。民主化が進み、世界的に有名な投資家であるジム・ロジャースやジョージ・ソロスが現在世界で一番熱い投資先だと頻繁に本やニュースで語っていたからです。
ジム・ロジャースは次のように述べています。
「向上心のない社会主義者ばかりだと聞かされていたが、世界とのつながりを渇望する働き者がいた」
Phyo Aung さんは日本でエンジニアとして働き、3年前にミャンマーに帰国して日本企業の進出コンサルをしていますが、最近ではインターネット回線もどんどん早くなり、外資企業がどんどん進出している関係で、首都ヤンゴンの家賃はここ5年で30倍〜50倍に跳ね上がっているそうです。
ミャンマーは1962年の時点ではアジアで最も豊かな国のひとつでしたが、1962年に市場を封鎖し、アジアで最も貧しい国の一つになってしまいました。
↑1962年、ミャンマーはアジアで最も豊かな国の一つだった。
しかし、最近ではオバマ大統領や日本の役人もミャンマーを訪れ、世界に市場を解放し始めており、ベトナムやカンボジアに遅れて、これからどんどん発展していくことは間違えなさそうです。Phyo Aung さんは次のように語ってくれました。
「来年にはインターネット回線が一段と早くなります。ホテルやレストラン、日本企業の進出コンサルで毎日大忙しですよ。」
↑日本語を必死に学ぶ会社のスタッフ
ちょっと名前を聞き忘れてしまったのですが、上記の写真のスタッフはまだ14歳で、父親が病に倒れ小学4年生で学校を中退、その後とはホテルなどで働いていましたが、2ヶ月前にPhyo Aungさんに拾われ、住み込みで働いています。
いつも帰ると笑顔でドアを開けてくれるのですが、家事の合間を見つけてはブツブツと1人でノートに書かれて日本語を音読していました。
ヤンゴンは国の首都とは思えないぐらい暗く、娯楽も一切ありません。
その「暗さ」はまるで1962年から時が止まってしまったような感じがしますが、それだけ他のアジアの国々にはないビジネスチャンスが眠っているということなのでしょう。
↑ヤンゴンは首都とは思えないほど暗い
「アジア最後のフロンティア」と呼ばれるミャンマー、1970年代後半に中国が市場経済に向けて動き出しましたが、ミャンマーは30年前の中国のような状況にあるのかもしれません。
次回訪れる時には、どれくらい発展しているのか非常に楽しみです。