January 17, 2016
芸能人格付けチェックが日本を壊す「なぜ、どちらが“美味しい”ではなく、どちらが“高い”かを当てる必要があるのか。」

失業率は25%以上、4人に1人が失業していると言われるスペインは、現在ギリシャなどと並び、もの凄く悲惨な状況にあると、様々なメディアで伝えられていますが、実際は、20世紀的な「お金があれば、幸せになれるかな。」という価値観からいち早く抜け出し、大量生産されたモノやサービスにお金をつぎ込んでマーケティングをすることで、人々に消費をさせ、その消費を維持するために体を壊してまで働き続けるというライフスタイルから、生活に必要のないものを徹底的に削ぎ落とし、何かお金以外のモノに喜びを感じる価値観に移行しつつあるのが今のスペインの状況だと言えます。


↑価値観のリセット「お金の使い方を徹底的に見直し、今を楽しむことだけを考える。」

実はこのような「価値観のリセット」は、スペインだけではなく、世界のあらゆる場所で起こっていて、例えば、リーマン・ショックよって壊滅的なダメージを受けたニューヨークでは、ブランディングやマーケティングまみれのマンハッタンから、物事の本質を見極め、見栄や気取りを捨てて、人間に本当の幸せをもたらす根本的な真実を明らかにしようとする人たちがマンハッタンからブルックリンに
移り始めていると言います。


↑価値感のリセット「マーケティング、ブランディングの生活から物事の本質を見極めるライフスタイルへ。」

明治以降、日本国民は近代化、富国強兵という「大きな物語」を国内で共有していましたが、戦後とともに国家主義的なアイデンティティーは崩壊し、経済大国になるにつれて、何かモノを買ったり、ただ、ひたすら働くことが日本人のアイデンティティーになっていきました。(1)

とくに、モノを買うことで喜びを感じるという考え方は、現代の日本にまだまだ深く染み込んでおり、例えば年末の五千円と五万円のワインを見分ける「芸能人格付けチェック」なんかでも、ワインなんか正直美味しければ、値段なんかどうでもいい話なのに、「どちらが美味しい」ではなく、「どちらの値段が高い」を当てることを競うという時点で、人々の喜びは「美味しい」という価値観ではなく「値札」、つまりそのモノやサービスの本質ではなくて、「お金」によってすべてが決まっていることがよく分かります。(2)


↑ワインなんか美味しかったら、何でもいいはずなのに、なぜ「値段」を当てられる人が評価されるのか。

もちろん、本当に良いものには高いお金を払う価値がありますが、「美味しい」という基準は個人的なものなので、他人と比べることはできませんし、「値段が高いか、安いか」を当てる能力が社会的に評価されることに少し違和感を覚える人も多いのではないでしょうか。

つまり、日本では実際はそうでないと信じたくても、「お金=豊か」という概念がまだまだ心のどこかに染み付いており、例えば、ヨーロッパでは女子高生がルイ・ヴィトンを持つことなどありえませんし、一般の人たちを見ても、日本やアメリカの人たちと比べれば質素な暮らしをしながら、お金がジャブジャブ注ぎ込まれたマーケティングやブランディングに踊らされるのではなく、自分なりの価値をベースに消費をすることで、新たなアイデンティティーを確立しています。


↑そうでないと信じたくても、実際、僕たちの物事の判断はまだまだ「お金」である。

スペインの人たちはコーヒー一杯にしても、「誰が」そのコーヒーを入れるのかで味が変わってくることを本能的に理解していますし、アメリカの新しい価値観を持った「ニュー・ノーマル族」と呼ばれる人たちは、口に入れたり、身に着けたりするものがどこで作られ、どのようにして自分の前にあるのかを強く意識し、お金さえあれば、誰でも手に入るものを買うのはダサイと考える傾向があるようです。(3)

クリエイターの高城剛さんも、お金さえ払えば手に入る「高級車」や限定的な「情報」について、人前で自慢げに話す行為は、成熟した社会では恥ずかしい行為であるとして、ロンドンの友人に次のように忠告されたそうです。(4)

「お金持ちのクライアントと話すとき、車の話題はやめたほうがいい。いまどきマイバッハに乗って喜んでいるのは、中東かロシアの金持ちくらいなものだ。本当のお金持ちは、高級車の話なんかするヤツは、バカだと思ってるからさ。」


↑今どき、お金で買えるものを自慢するのはただのバカ。

ハーバード大学のジョン・クウェルチ教授によれば、僕たちは何かを買うたびに、自分の価値観や優先順位を周りに表明しており、今後、人々は人生において無駄なことと、大事なことを今まで以上に区別するようになってくると言います。

あまり認めたくない話かもしれませんが、僕たちは何かを購入するとき、そのモノ自体がほしいというよりは、そのモノを手にいれることで得られるステータスを買っていることが多く、10年前、20年前は豪華な物を手に入れれば幸せという感覚がありましたが、現在ではそれが大きく変わってきており、ミネソタ大学、ニューメキシコ大学、そしてロッテルダム経営学校が共同で行なった調査によれば、環境に優しいエコ商品を購入するメリットは、エネルギーや経費が節約できるというメリットよりも、その消費から得られるステータスやイメージの方が大きいとして次のように報告しています。(5) (6)

「人々がステータスを上げようと思えば、エコな製品を買うほうが、豪華でエコでないよりも効果的だ。」


↑エコ関連はお金が節約できるというよりも、その製品を使うことでその人のステータスを上げることができる。

日常の消費だけではなく、普段食べるものに関しても、価値観をベースに消費が行われるようになってきており、日本ではいわゆる「勝ち組」が野菜中心の低カロリー食品を好むのに対し、所得の低い「負け組」は、健康面に対して意識が薄く、低価格で高カロリー食品を選ぶ傾向が強くなってきています。

人は口にするものを選ぶにあたって、それが科学的に危険かどうかと言うよりも、感覚的に気分が良いか、悪いかが重要になってくるため、食べ物の好き嫌いではなく、何を食べるかという「食の選択」自体が政治的な意識を生み、何を食べているかによって国民の考え方が大きく二分してくることになります。(7)


↑やっぱりファーストフードを食べれば体が重くなるし、健康的なモノを食べれば感覚的に気分が良くなる。

ボストンのコンサルティング会社、「コーン」が行った調査によれば、アメリカではすでにデモなどの運動で、政治を動かすのは時代遅れだと考える人が多く、世の中の大半の人が「企業には環境を保護する責任がある」という考えを持っていることから、政治運動で政府を動かすよりも、世の中に良いことを行おうとしている企業を応援することで社会の問題を何とかしようと考えており、よく分からない政治運動にアレルギーを持つ人たちが、「消費」による社会の変革に可能性を感じていることも、リーマン・ショック後に見え始めた新しい社会のあり方とも言えます。


↑もう、デモで政治を動かそうとするのは明らかな時代遅れ。

つまり、金融危機によってマーケティングやブランディングの魔法が解けたことで、「価値観のリセット」が行われ、人々が人生の本質を見極めようとするならば、次々と新しい物や情報があふれてくる消費社会から完全に脱却することはできなくても、一定の距離を置くようになり、企業も「正しいモノを高く売る」ことで、20世紀に作り出された大量消費・大量生産の流れを断ち切ることは十分可能なのではないでしょうか。(8)

そして、これからの消費は単に金銭を払うことで、一方的にサービスを受け取るものではなく、消費を通じて、もっとお互いの人間的な関係を深める行為に変わっていくことが予想されますが、
食料自給率が140%以上あるスペインでは、お互いの作った食べ物を交換することで人間関係を深め、食事ひとつ取っても、単に栄養を取り込む手段ではなく、コミュニケーションの一つとして考えられており、共働きで忙しく、食事はレトルトや冷凍食品ばかりの生活を送っている東京の人達とは価値観が大きく異なります。


↑仕事ではなく、食べ物を交換し合うことで人間関係を深めていく。

食べ物や消費の「共有」は、21世紀の大きなキーワードですが、これはお金が無いから「共有」して費用を浮かせようという考えではありません。

調査会社のビジョン・クリティカルが行った調査によれば、近年登場したシェアリング・エコノミーのサービス(AirbnbやUber)を使っているユーザーの27%は、比較的お金に余裕のある年収約600万〜1100万円の人たちで、普通のホテルの宿泊客が平均3.5泊し、約9万7,000円を食事や買い物に使うのに対し、Airbnbの宿泊客は平均5.5泊し、12万円を支出するそうで、シェアリング・エコノミーを意識する人たちは、これまでホテルがなかった地域により長く宿泊し、そこでより多くのお金を支出していることになります。(9)


↑シェアリング・エコノミー「限られた資産をテクノロジーを使って効率的に分散する。」

世界の各地で「共有」や「価値観による消費」など新しい概念が少しずつ広がりつつありますが、現在の日本では、社会システムの舵取りをする人たちがどんどん幼稚化し、「変化だ!改革だ!スピード感だ!キャッチアップだ!バスに乗り遅れるな!」などと、声を立てて国民を煽り、敗者はどんな目にあっても、努力が足りなかった自分が悪いと一方的に非難されます。(10)

実際、今進められている様々な「改革」は、何十年後かに今の日本を振り返ってみた時、「あんなことしなければよかった」と多くの日本人が反省するのではないかと思いますが、現在の日本社会はアメリカ以上に個人主義の国になってしまっており、若者たちは誰にも迷惑をかけず、かけられず生きていきたいと言いますが、もう僕たちはそこまで豊かではありませんし、「共有」や「価値観による消費」を通して、お互いに迷惑をかけたり、かけられたりしながら生きていくノウハウを身に付けなければ、もう日本社会は成り立たないのではないでしょうか。


↑自分だけよければいい国「数十年後、あんなことしなければよかったと絶対に後悔する。」

日本の消費は1980年前まで、「家族」が中心で、子供も含めた家族がそれぞれの労働で家計に収入を入れ、家族全員の合意を持ってお金の使い道を決めていたため、臨時ボーナスが入っても、みんなで回転寿司に行ったりして、あとは貯金という家庭がまだまだ多かったと言います。

しかし、経済を一気に成長させていくためには、この「家族」という単位を解体させる必要がありました。

つまり、今まで家族4人で暮らしていた人たちがバラバラになれば、住む場所は4つ必要になり、電化製品や車もその数だけ必要になるため、メディアやコピーライトなど様々な方法を使って、「あなたが何者であるかは、何を購入したかで決まる」と教えこむことで、消費の単位を家族から「個人」に移していくことで、モノをどんどん国民に買わせて、経済を拡大していきました。(11)


↑こうして日本人は個人単位で「消費」することが良いことだと教えこまれた。

しかし、このような消費し放題の魔法は、バブル崩壊と共に解け、最終的にリーマン・ショックがそれにとどめを刺すことになりますが、現在の日本はまだまだ当時の価値観から抜け出すことができず、むしろ今進んでいる改革は、その時代に時計の針を戻そうとしているようにも思えます。

バブル当時、あふれるほどお金を手に入れた日本人に消費を勧誘したコピーライター、糸井重里さんの代表的なコピーは「ほしいものがほしいわ」でしたが、現在、糸井さんは「コピーライターの時代は終焉を迎える」と述べており、もし多くの日本人が人目を一切気にせず、マーケティングや流行にとらわれない従来のライフスタイルに戻ることで、「正しい価値のあるものに、正しい価格を払う」という価値観を身に付けたら、無駄に働く時間も減って、社会も大きく変わっていくのではないでしょうか。(12)


↑金銭的に豊かなことが決して幸せなのではない、Quality of Lifeを徹底的に考える。

岡本太郎は高度成長を経て、一気に生産性を高め、経済的に急成長する日本を見て、あるインタビューで次のように述べていました。(13)

「今日の社会は人間の共同体としての、共通のリズムを失ってしまっている。ひとりひとりがばらばらで、その個人がまだ全体像のふくらみをもっていない。つまり自分自身が十全に自分ではないのだ。これからますます近代社会が組織化され、システムの網の目が整備されればされるほど、人間はその中の部品にすぎなくなり、全体像、ユニティーの感動、威厳を失ってくる。」

「厖大な生産力は人々の生活基準を高めた。しかしそれが果たして真の生活を充実させ、人間的・精神的な前進を意味しているかどうかというと、たいへん疑問である。」


↑戦後70年、経済や生産性を一方的に重視したため共同体や全体像が少しずつ失われ始めた。

夏目漱石が長編小説「こころ」を書いた100年前、明治維新によって急速に西洋化した日本人は、それまでの封建制度とは全く違う生活をするようになり、物質的にはどんどん豊かになっていきましたが、精神的にはどんどん貧しくなっていくという状況が生まれました。

夏目漱石はその概念に気づいて、「こころ」という小説の中で「心が失われはじめた時代」を描きましたが、それから100年後の今、僕たちは「心が失われはじめた時代」から、IT革命、グローバリゼーション、そして金融危機を経て「心なき時代」に向かってしまっているのかもしれません。(13)


↑「心が失われはじめた時代」から「心なき時代」へ。

どの時代も、新しい世紀の最初の10年は 、前の世紀から移行の時間で、今ここで舵取りを間違えば、次の100年を見す見す棒にふることになり、この100年に一度の感情、経済、そして社会のリセットを無駄にするのはもったいなさすぎます。

しかし、日本を含む多くの先進国が古いシステムを守るために何兆円も税金をつぎ込ぎこむ中で、ブルックリンやバルセロナなど、「お金=幸せ」という、信じていた価値観が目の前で壊れていくのを目の当たりにしたことで、21世紀の新しいライフスタイルを見つけた人たちも少しずつではありますが増えてきており、新しい方向に向かって歩き出しています。

2050年ぐらいになって、僕たちが20世紀という時代を振り返った時、なんであんな意味のないことに時間やお金を使い続けてきたんだろうと、笑い転げてしまう日が来るのかもしれませんが、そのころ行われる芸能人格付けチェックの”格付” の基準は、お金ではなく、また別のもので、格付の順位も2016年に一流だった人が三流、三流であった人が一流というように、値段に惑わされず、自分の価値観でしっかり判断できる人が一流と呼ばれる時代になっているのかもしれません。

※主な参考書籍

1.三浦 展「第四の消費 つながりを生み出す社会へ」(朝日新聞出版、2012年) P36 2.内田樹「街場の共同体論」(潮出版社、2014年) Kindle P1403 3.佐久間 裕美子「ヒップな生活革命」(朝日出版社、2014年) Kindle P83 4.高城 剛「2035年の世界」(PHP研究所、2014年) Kindle P1110 5.ジョン・ガーズマ、マイケル・ダントニオ「スペンド・シフト ― <希望>をもたらす消費」(プレジデント社、2011年) P337 6.リチャード・フロリダ「グレート・リセット―新しい経済と社会は大不況から生まれる」(早川書房、2011年) P216-219 7.速水健朗「フード左翼とフード右翼 食で分断される日本人」(朝日新聞出版、2013年) P380 8.三浦 展「第四の消費 つながりを生み出す社会へ」P246 9.宮崎 康二「シェアリング・エコノミー ―Uber、Airbnbが変えた世界」(日本経済新聞出版社、2015年) Kindle P924 10.内田樹「街場の共同体論」(潮出版社、2014年) Kindle P16 11.内田樹「街場の共同体論」(潮出版社、2014年) Kindle P1077 12.週刊東洋経済編集部「”ほぼ、上場します”糸井重里の資本論」(東洋経済新報社、2015年) Kindle P236 13.姜尚中「心の力」(集英社、2014年) Kindle P486

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