July 13, 2017
キングコング西野「SNSは1万人リーチを狙うのではなく、1対1を1万回やれ!」1万回やって成功しない企業はない。

イラスト:リーディング&カンパニー

1998年、当時はまだ珍しかったホームページをいち早く立ち上げ、メディアを通じてではなく、自身の言葉で直接ファンにメッセージを伝えていた中田英寿さんは、現在SNSなどは一切やらず、ケータイもガラケーで、情報を頻繁に配信することにあまり面白みを感じられないのだとして次のように述べています。

「情報って価値だと思うんですね。ネット社会になって誰もが発信できる時代だと、情報自体の価値がすごく薄れてきちゃう。だからこそ、その中でどうやって異なる価値を出せるかが重要になってくる。」

「SNSをやっていないのも、本当に厳選された情報を、最適なタイミングで、最適な場所に出したいから。僕は、1998年にホームページを始めたんですけど、その頃はネットがあまり普及していなかったので、出すことが面白かった。でも、今は違う。」


↑外から見られるブログは2010年で止まっており、「中田本人のSNSアカウントは存在しておりません」との明記がある。(nakata.netのキャプチャー)

また、キングコングの西野亮廣さんは、現在のSNSは拡散ツールとして情報を1万人にリーチさせようとするのではなく、「1対1を1万回やった方がいい」と述べていますが、「ミクシィ疲れ」と言われた10年前から「フェイスブック疲れ」という言葉も、最近では当たり前に聞くようになり、SNSの使い方も次の数年で本格的に変わっていくことでしょう。(1)

実名を公開しなかったミクシィから、実名制のフェイスブックにユーザーが移行するのにかかった期間はほんの数年であり、実名どころか住所、電話番号まで公開し、SNSで自分をアピールするために面白い行事に参加するといった「ネタ消費」が生む経済効果が3400億円とも言われる中で、次世代のSNSのあり方とは一体どこへ向かっていくのでしょうか。(2)

「1(フォローする)」か、「0(フォローしない)」しかないSNS。これからは、「会いに行けるアイドル」ではなく、「会いに来る芸人」


(@nishinoakihiro/ツイッターキャプチャー)

リアルな世界の人間関係には家族、会社の人、そしてたまたま交流会で会った人たちなど、人間関係の中にも濃い薄いが当たり前のように存在します。

しかし、SNS上の人間関係は基本的に「1(フォローする)」か、「0(フォローしない)」という2択しかなく、マーケティングの観点から言えば、企業はどんなユーザーとどのような関係を持つかということは完全に無視して、ただフォロワーの数を増やすことだけに夢中になってしまっており、求めるものは友達やファンの質ではなく、ただの数字になってしまいました。(3)

GMOペパボ創業者である家入一真さんは自身の著書の中で、ある日、夜の11時に渋谷で一人で飲んでいて、寂しかったので、ツイッターで「渋谷で飲んでいるんで誰か来て!」とつぶやいても、誰も来てくれず、さらに別の日、軽い気持ちで知人のツイッターのフォローを外したところ、相手から「何でフォローを外すの?」とこっぴどく怒られたことを語っていますが、こういったことを考えると、SNSを通じて顔の見えない不特定多数の人たちとつながることに何の意味があるのかと、少し疑問に思ってしまいます。(4)


↑この「フォローするか」、「フォローしないか」だけの人間関係は一体どこまで意味があるのか

ソーシャルメディアというものは基本的にすべて無料であるため、お金がなく、あまり知識レベルが高くない人たちが多く集まってきます。

すると、つくるコンテンツも自然と彼らに合わせた低いレベルに合わせる必要があり、大衆のSNS上で注目を浴び続けるためには「自分は、みんなと変わらない庶民です」とずっとアピールし続けなければなりません。


↑常に庶民に対して話題を合わせなくては、SNS内では生き残っていけない。

さらに、企業のマーケティングにしても、個人のブランディングにしてもそうですが、「いいね!」や「リツート」という評価を得る続けるためには、とにかくPCやスマホに張り付いて、頻繁にSNSを更新し続けなければならず、こうなってくると、一回で伝えられる内容をあえて3回のブログに分けて更新したり、自分が大して良いと思わないことでもとりあえずアップしておこうといった感じで、どんどん体力の消耗戦に巻き込まれていってしまいます。

そういった意味で、本当に良いコンテンツは消耗戦から絶対に生まれないでしょうし、恐らくこういった消耗戦が行き着く先というのは、きっと恐ろしいほどに虚しい世界なのでしょう。


↑虚しい世界「注目を維持しようとすればするほどPCの前から離れられなくなる。」

これは多くのブロガーさんたちも認めていることで、少し前はSNSの投稿をキッカケに様々な議論を呼び起こしていましたが、最近ではSNSに対するユーザーの反応が薄くなりつつあり、キングコングの西野亮廣さんもニューヨークで個展をやるためにクラウドファンデングで資金調達をしようとした時のことを次のように述べています。(5)

「このSNSを最大限利用してやろうと思い、ツイッターのタイムラインをボケーッと眺めていたら、『拡散希望』と書かれたツイートのRTが昔に比べて減っていることに気が付いた。」

「皆、網をスルーするスキルがすっかり身についてしまっていて、つまり、SNSは拡散装置としては寿命を迎えていたわけだ。網でかからないのなら、モリを片手に素潜りで一人一人突き刺していくしかない。」


↑網にかからないのなら、一人一人、自分で素潜りで探していくしかない。

「『キングコング西野』でエゴサーチ(検索)をかけ、僕についてツイートしている人をリストアップし、『はじめまして。キングコング西野です。実はこの度、クラウドファンデングという・・・』と片っ端から突き刺していった。700〜800人に声をかけた。『会いにいけるアイドル』ではなく、『会いに来る芸人』。結果、これが大ハマリ。2週間で530万円が集まった。」

さらに、ニューヨークのメディアに個展のニュースを流してもらうツテなどなかった西野さんは、SNSで「ニューヨーク 寒い」、「ニューヨーク 混んでる」、「ニューヨーク 美味しい」でエゴサーチをかけて、今ニューヨークにいる人をリストアップすることで、「はじめまして。キングコング西野と申します。この度は、、、」と一人一人に直接連絡していったことで、個展は3日間で1800人もの人が足を運んでくれたと言います。


↑「会いに行けるアイドル」ではなく、「会いに来る芸人」(イラスト:リーディング&カンパニー)

また、SNS界のスーパースター、ゲイリー・ヴェイナチャックは、従来のSNSを使ってできるだけ多くの人にリーチさせるマーケティング手法とは全く逆の、たった一人を徹底的に喜ばせることを狙った「One to One Marketing」を実践して大きな成果を出しています。

ゲイリーさんは自分のツイッターのフォロワーに対して、「みんな、おはよう!何か必要なものはあるかい?」とツイートし、「チーズバーガーが食べたい!」、「卵を切らしているんだ」などという返信をもらうと、本当にそれを1時間後に部屋の前まで届けて、ユーザーを驚かせました。


↑ユーザーが欲しいというものを本当に送って、一気にユーザーの心を掴んだ

冗談で本当に届くとは思っていなかったユーザーは、「本当に届いたよ!」とそれをSNSに投稿し、それがどんどんSNS内で拡散されていったことで、ゲイリーさんの名が世の中に知られていくことになります。

数年前に比べるとユーザーがSNSに投稿する回数自体が減っているようですが、日常とは異なった体験をする旅行などに行った時は、多くの人が当たり前のようにフェイスブックに投稿しています。

そういった意味で、ユーザーのタイムラインに自分たちの投稿をしてもらうためには、西野さんやゲイリーさんのように、ユーザーが普段体験できないような「驚き」を与えてあげることが一番の近道なのかもしれません。

フェイスブックには疲れた。一人は好きだけど、孤独は嫌い。次の時代の一番心地よい人々との繋がり方。


(NingのHPより)

「マークザッカーバーグ氏が一番恐れている新しい形のSNS」という記事にもありますが、フェイスブックのアクティブユーザーが20億人を超え、世界が一旦オープンに繋がったところを境に、SNSの形は今後大きく変わり始めています。

日本で言えば、10〜15年ほど前に当時は友達からの招待状がなければ参加できなかったクローズド(閉ざされた)なSNS、ミクシィが流行り、それから、ブログ、ツイッター、そしてフェイスブックとオープンなSNSが行くところまで行きつきました。


↑Mixi→ブログ→Twitter→FacebookとSNSがある程度オープンなところまで行き着いた。
(Flickr_TAKA@P.P.R.S_CC)

そして、次のステップとして、マストドンのようないったんオープンなSNSの世界でつながった人たちが再度クローズドなSNSの中で、ユーザー同士のコミュニケーションを深いものにするといったものにシフトしていくように思えます。

例えば、このマンション限定のSNSとか、この地域限定のSNSといったように、インターネットというものの中でも、いくつもの層に別れていくぶん、その中のコミュニケーションの密度は濃くなり、その接続先(つまりは、コミュニティ)を切り替えることで、また新しい繋がりを生み出すといったような、フェイスブックやツイッターといった一つの大きなものに依存することは、今後少なくなっていくのではないでしょうか。


↑クローズドなSNS、オープンなSNSを経て、オープンで繋がった人たちが密につながり合う次のSNSへ (イラスト:リーディング&カンパニー)

ウェブの父とも言われるティム・バーナーズ=リーはウェブ(WWW)誕生20周年にあたる2010年のインタビューで、フェイスブックやリンクトインのような独占的なSNSの中にユーザーが閉じ込められてしまうことで、インターネットという大きなインフラを通じた情報のフローが弱まってしまうのではないかという懸念を抱いています。

フェイスブックやツイッターなどのSNSはもの凄いスピードで世界に広がり、生活のインフラとなりましたが、近年では本当に限りないいくつかの企業がプラットフォームを独占し、ユーザーや企業からしてみれば、勝手なルール変更や運営方針など、「常に独占的なプラットフォームのルールに従わなければいけない」という問題に対する打開策が必要な時期であることは確かでしょう。


↑本当に自由だったインターネットがフェイスブックやリンクトインといった壁の中に閉じ込められつつある
 (Flickr_Athanasios Kasampalis_CC)

アメリカには、シリコンバレーで最も影響力があると言われるマーク・アンドリーセンが創業し、独占的なSNSプラットホームに依存せず、自らのSNSが作れる「Ning」というサービスがありますが、恐らくこれからのSNSは現在のような比較的なオープンな部分と、ある特定の人たちやファンがもっと親密につながることができるクローズドなコミュニティとのバランスによって成り立っていくものなのかもしれません。

マーク・アンドリーセンは次のように述べています。

「あなたのブランドに50万人のTwitterのフォロワー、100万人のFacebookファン、そして20万人のYoutubeチャンネル登録者が居るっていうけど、それらを使ってどうするつもり?」

確かに的を得た問いのように思えます。SNSあっての現実世界ではなく、現実世界あってのSNSであり、結局のところ、SNSの影響力が最終的に寄りかかってくるのは、現実世界との力関係で、ビジネス的にも、人間関係という意味でも、SNSの影響力とは現実世界での信用の支配下にあると思って間違いないはないでしょう。

まとめ「何万人のフォロワーがいても、いざという時に駆けつけてくれなければ、何の意味もない。」


(Flickr_nate bolt_CC)

過去5年〜10年を振り返ってみれば、企業にしても、個人にしても、人々とつながることは良いことだと、とにかくフォロワーを増やしたり、「いいね!」を獲得することに必死になってきました。

もちろん、そこから得るものも多かったことは間違いありませんが、この記事でご紹介した家入さんの話のように、いくら何万人のフォロワーがいても、一緒に何かをやりたい時、ちょっとそばに居てほしい時に一人も駆けつけてくれないのであれば、結局はデジタル上だけの架空の人間関係であって、現実の世界では何の意味も持ちません。


↑現代は、対面で会っていても、通知が来たらそちらを優先してしまう、不思議な世の中である

糸井重里さんはもう10年以上前に出版した「インターネット的」という本の中で、人類の歴史上どれだけ大きな変化が起こっても人間の根本的なもの、つまり目の位置や鼻の数は変わらないのだから、インターネットやSNSが普及することで生活は便利になるかもしれないけど、僕たち自身が根本的に変わってしまうことはないのだと断言しています。(6)

「たとえば『源氏物語』のなかに描か れている、人が人に対して抱くさまざまな感情。それはいまの人たちが抱える悩みや情熱 とまったく同じものだと思います。好きだという気持ちを伝える手段は、手紙からメールやLINEに変わってるかもしれないけれど、どうしようもなく人を突き動かす感情みたいなものは、『源氏物語』に書いてあることとなにも変わらない。 だから、 インターネットが登場しても、人は変わらない。それをぼくは当たり前のことだと思っていました。」


↑何百年、何千年経っても、人をつき動かす感情のようなものは変わらない

Facebookが本格的に日本に普及し始めた頃、「六次の隔たり」と言われ、SNS上の6人を介せば世界中の誰とでもつながれると言われました。

しかし、1日が24時間である限り、仮に何万人と繋がれたとしても、所詮それは「1(フォローする)」か、「0(フォローしない)」という2択の数式でしかなく、何万人と人間味のあるしっかりとして関係を持つことはできません。

やはり実名のSNSを通じて、世界の人たちが、一旦ある程度オープンに繋がったところで、現在のオープン性はある程度維持しつつも、つながった人たちと「1(フォローする)」以上の関係を築くことが今後のSNSには求められてくるのでしょう。

ITで成功した人たちが、次の事業としてカフェをやりたがりますが、やっぱりオンライン上でどれだけユーザーを獲得できても、目の前でユーザー同士が会話しているのを見るほど、安心することはないからなのかもしれません。

参考書籍・引用

1.西野 亮廣「魔法のコンパス 道なき道の歩き方」主婦と生活社、2016年 P122 2.香山リカ「ソーシャルメディアの何が気持ち悪いのか」朝日新聞出版、2014年 Kindle 3.高橋暁子「ソーシャルメディア中毒 -つながりに溺れる人たち-」幻冬舎、2014年 Kindle 4.家入 一真「さよならインターネット – まもなく消えるその『輪郭』について」中央公論新社、2016年 Kindle 5.西野 亮廣「魔法のコンパス 道なき道の歩き方」主婦と生活社、2016年 P129 6.糸井 重里「インターネット的」PHP研究所、2014年 Kindle

参考書籍

■養老 孟司「京都の壁」PHP研究所、2017 ■小林 啓倫・コグレ マサト「マストドン 次世代ソーシャルメディアのすべて 」マイナビ出版、2017年 ■小林弘人・柳瀬博一「インターネットが普及したら、ぼくたちが原始人に戻っちゃったわけ 」晶文社、2015年 ■ナカムラクニオ「人が集まる「つなぎ場」のつくり方 -都市型茶室『6次元』の発想とは」CCCメディアハウス、2013年 ■古谷経衡「インターネットは永遠にリアル社会を超えられない」ディスカヴァー・トゥエンティワン、2015年

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