May 11, 2016
売国奴、恩知らず、裏切り者、“二度と日本に戻ってくるな”から始まった野茂英雄の挑戦「いつの時代も批判するのは、チャレンジしてない奴だよね。」

(イラスト by リーディング&カンパニー)

野球、バスケットボール、テニス、そして陸上など、どんなスポーツにも言えることですが、単純に身体能力の差だけで考えれば、多くのスポーツで日本人は圧倒的に不利であり、日本人が世界レベルでまともに戦えるスポーツはそれほど多くありません。

1995年に野茂英雄選手が年俸1億4,000万円から980万円に下がりながらもメジャーリーグに渡りました。

野茂選手がアメリカに行くまで、アメリカ人は日本で野球が行われていることすら知らず、日本のスター選手とメジャーリーガー達が戦う親善試合でも、日本は一方的に負けていたため、当時の日本のプロ野球などは老いぼれたメジャーリーガーたちが最後に“おいしい契約”にありつく場所に過ぎませんでした。(1)


↑野茂がアメリカに渡るまで、アメリカ人は日本で野球が行われていることさえ、知らなかった。(JoshBerglund19/Flickr)

1960年代、当時のスター選手であった王貞治や長嶋茂雄をメジャーリーグがスカウトしましたが、日本の巨大権力がこれを許さず、1990年代になって、野茂がメジャーリーガーのパイオニアとして扉をこじ開けたことで、その後、イチロー、松井、そして上原など数々の選手が海を渡っていくことになります。

しかし、野茂がロサンゼルス・ドジャースと契約すると、ファン、プロ野球界、そしてマスコミから「売国奴」と一斉非難を浴び、王、長嶋、星野仙一などの著名人までもが野茂を徹底非難、さらに実の父親ですら、しばらく口を聞いてくれず、野茂がドジャースの関係者と会うため、成田空港から飛び立つ時には、ほんの一握りのマスコミしか姿を見せませんでした。(2)


↑売国奴、恩知らず、裏切り者、二度と日本に戻ってくるな。

もともと、アメリカのファンも野茂に対して期待はしていませんでしたが、野茂は日本人とアメリカ人の期待を見事に裏切り、時速153kmのストレートで、自分より一回りも二回りも大きい選手を次々と打ち取って、三振の山を築き、終わってみれば防御率は1.99、奪三振119という素晴らしい成績を上げ、なんとメジャーリーグ・オールスターの先発投手にまで選ばれました。

「野茂英雄―日米の野球をどう変えたか」の著者で、フリージャーナリストのロバート・ホワイティング氏は、オールスターの当日、日本人アナウンサーが立ち上がり、興奮のあまり飛び出した言葉を今でも忘れないと言います。(3)

「みなさん、信じられますか! 信じられますか! 日本人投手が、メジャーリーグのロサンジェルス・ドジャースのユニフォームを着て、 今、 アメリカのオールスター戦に先発しているんですよ。信じられますか! 信られますか!」


↑野茂は日本人がアメリカ人の前で、胸を張れることを手助けした。

野茂がアメリカに渡り、時間をかけて初勝利をものにし、やがて連戦連勝でアメリカ中を巻き込むブームを作るというのは、戦後当時、ゴミ同然だと思われていた日本製品を認めさせ、一定の評価を得て、やがてアメリカ企業や政府が羨むような存在になっていった日本の歩んだ道を、ほんの数ヶ月にまとめてくれたものなのかもしれません。(4)

また、現在ヨーロッパのレストランから日本人シェフがいなくなってしまったら、お店が成り立たたなくなると言われており、これも様々な理由で日本を離れたシェフ達が、タダ同然で店に入り、自分のポジションを獲得することで、野茂投手と同じように無くてはならない存在になっていくというプロセスによく似ています。(5)


↑日本人がいなくなったら、パリの半分以上のレストランは潰れてしまうだろう。

世界中から選手が集まってくるメジャーリーグには、日本で「何十年に一人」という人材がごまんとおり、1番から9番までホームランを打つ力を持っているため、マウンドの緊張感が日本とは全く違い、日本でホームラン王に3回も輝いている松井秀喜選手は、「大リーグの中で自分はホームランバッターではない」、あのイチローでさえ「あいつら、全員怪獣だと思っていた」と大リーグの凄さについて語っています。 (6)

2009年にメジャーに挑戦した上原浩治選手は大学時代に、日本のプロ野球か、メジャーに進むか悩んでいた時、スカウトの「100パーセントの自信がなければ来ないほうがいい」という一言に決意が揺らぎ、最終的に巨人を選んだと述べていますが、当然のことながら、多額の年俸でメジャーリーグと契約し、結果が出せなかった日本人選手も多くいるのは事実です。(7)


↑100パーセントの自信がなければ来ないほうがいい 。

麻雀の代打ちとして、20年間無敗で引退した、桜井章一氏はスポーツでも、ビジネスでも、「負ける」という行為の99%は「自滅」だと断言しています。

桜井氏は自分が特別何かをしなくても、相手が勝手に墓穴を掘ってみるみるうちに沈んでいくのを今まで何度も経験したと述べていますが、野茂選手が「日本からいなくなってせいせいする」と、母国から追い出される形でメジャーに挑戦したのに対して、合計1億311万ドルというお金が動き、常にマスコミの大きな注目を浴びていた松坂選手は、様々な意味で期待されすぎたことが大きなプレッシャーになってしまったことでしょう。(8)


↑松坂には100億を超える重圧がのしかかった。

女子マラソン代表として、ロサンゼルス・オリンピックに出場した増田明美さんは、周りの「頑張れ」という期待に耐えかねて、ロサンゼルスのホテルから一步も出ることができず、精神的に疲弊し、自殺まで考えてしまった時のことを次のように述べています。(9)

「『頑張って』『頑張って』という声の満ち満ちた集団の中に入ってゆくのが、どうしてもいやだったんです。『頑張って』という言葉がつらかったんです。『祈ってるよ』『祈っています』と言ってほしかったですね。」

このようなことを考えると、日本人が海外の大舞台で成功するためには、日本での成功をもてはやされながら『頑張って』と送り出されるのがよいのか、それとも野茂投手のように『さっさと日本からいなくなれ!』と後ろ指を差されて、日本を飛び出すのが良いのか、よく分からなくなってしまいます。


↑批判が闘争心を呼び覚まし、期待が大きなプレッシャーを与える。

ただ、最近のUberやAirbnb、そして野茂投手のように行動やサービスが革命的であればあるほど、世の中の反発は大きく、2012年に米国スプリントを約1兆6,000億円で買収した孫正義氏も、様々な方面からバッシングを受け、日本だけではなく、世界的な影響力を持つ経営コンサルタントの大前研一氏までもが、孫さんの行動を批判しました。(10)

「先進国においてはLTEなどの巨大 投資をすればするほど土管化し、客単価が下がっていく、という趨勢にあると見なくてはならない。 この戦いでは、業界トップが断然有利となる。孫社長ともあろう人が、そうした近未来像が見えていないとは思えないから、今回のスプリント買収というニュースには大いに首をかしげざるを得なかったのである。」

また、NTT社長の鵜浦博夫氏はソフトバンクのスプリント買収に関して、皮肉交じりに次のようにコメントしています。(11)

「大変なリスクを承知で行われたと認識しており頑張っていただきたい。あえて申し上げるならば、我々はコンシューマビジネスにおいて、 ベライゾンやAT&Tと正面から戦うリスクを冒す気はない。」


↑孫正義「最低でも日本一、目標は世界一。」

アメリカの作家、マルコム・グラッドウェルは圧倒的に不利な立場に立たされた人たちが、どのようにして強者に立ち向かうのかを徹底的に調べ上げ、多くの人は圧倒的な巨人を目の前におじけづいたり、逃げ出したりしてしまうが、10人に一人はそれをバネに不屈の精神力を発揮するのだとして次のように述べています。(12)

「圧倒的に不利な状況に置かれながらも、あえて戦う道を選ぶ姿は美しく、崇高だということ。勝ち目のない戦いに挑む精神は尊い。そこから扉が開かれて、新しい歴史や価値がつくられる。そしてもうひとつは、どんなに強くて大きい巨人にも、かならずどこかに致命的な弱点を持っているということだ。 だが現実には、巨人の迫力に圧倒され、戦わずして逃げだす人がほとんどだろう。」


↑10人に一人はこの圧倒的に不利な状況を最大限に利用する。(Keith Allison/Flickr)

日本人初のワールドシリーズ胴上げ投手となった上原選手の生活は、ホテルと球場を往復するだけで、公務員よりも変化のない生活で、外食、お酒など自分がやりたいことを我慢し、すべてをベストコンデションでマウンドに上がることに捧げているため、現在住んでいるボストンのことですら、観光したことがないため、全く知らないのだそうです。(13)

そして、ワールドシリーズで最後のバッターを三振に打ち取り、チームメートが周りに集まってきた時、胴上げ投手となった上原選手の心の中にあったのは、喜びでも感動でもなく、「これで休める….これでもう投げなくてもすむ」という常に結果を出し続けなければならない状況から解放されたという正直な気持ちでした。


↑上原選手はその後、家族の待つ自宅へ帰り、好きなものを食べ、好きなものを飲んだ。

世界に通用するための努力という意味では、村上春樹氏の生活もものすごく単調だと言います。

彼が小説を書く時とは、毎朝4時に起き、コーヒーを淹れたら「希望もなく、絶望もなく」、ただ淡々と5〜6時間、小説を書き、その後、10キロ、もしくは1,500メートルを泳ぎ(時には両方)、その後、本を読んだり、音楽を聴いて、21時には就寝するという単調なサイクルを半年から1年ほど続けます。(14)

実際、村上春樹氏も野茂選手と同じように日本国内で批評的に叩かれたことが、海外進出への契機になりましたが、彼はどの業界でも「褒め殺し」ほど怖いものはないとして、むしろ貶されてラッキーだったと自身の経験を振りかえっています。


↑世界に認められる結果を残すために、徹底的にルーティンを守る。(illustration by L&C)

現役時代、すでにイタリアの優れた選手が尊敬する選手とまで言われた元サッカー日本代表の中田英寿選手は、2006年のワールドカップでこんなサッカーをしていては、世界には絶対に太刀打ちできないとして、ぶつけようのない怒りを自身の本の中で爆発させています。(15)

「選手がみんな頑張っているのは本当。しかし、何度も言うけど、頑張るのは当たり前のことなんだ。代表に選ばれた者には、それ以上の激しさが求められている。」


↑会社の役員幹部なら頑張ることなんて当たり前、チーフ・◯◯・オフィサーはただの肩書か。

世界ランキング・シングルス第4位の成績を残した錦織圭選手のコーチを務めたマイケル・チャンは、錦織選手が決勝の前のインビューで「フェデラーと決勝で対戦するなんてワクワクします。彼は偉大な選手で昔から私の憧れの選手なのです」と言ったことに対して、そんな気持ちでは絶対に勝てないと次のようにアドバイスしたそうです。(16)

「優勝するのはお前じゃない! 俺 だ! という気持ちがなければ戦う前に負けている。過去の実績なんて目の前の試合には関係ないんだ。」

「コートに入ったら『お前は邪魔な存在なんだ』と言い切る覚悟が必要なんです。」


↑一旦コートに入ったら、敬意ではなく「お前は邪魔な存在なんだ」という強い気持ち。(iStock)

しかし、年俸を1億4,000万円から980万円に落としながらアメリカに渡った野茂選手を始め、なぜ世界に挑戦する多くの人たちは環境や待遇を落としてまで、さらに厳しく過酷な場所に挑戦し続けていくのでしょうか。

35年前、音楽でアメリカに挑戦した矢沢永吉さんは「マネーはサクセスしたけど、アメリカは僕の夢なんです。」と答えました。

当時、アメリカでは世界中から、毎週1,000曲というシングルが発売され、ある程度ハッタリや力関係でビルボードの70位に入ったり、ロサンゼルスなどでコンサートをやることはできても、当然のことながら、本当の意味でアメリカで認められることは、そんな甘いことではありませんでした。


↑ハッタリでビルボード70位に入ったところで意味がない。 (iStock)

矢沢永吉さんがアメリカで成功したか、しなかったはまた別の話ですが、アメリカに挑戦した35年前を振り返って彼は
次のように話しています。

「あの時、(アメリカに)行って本当よかったですね。あの時行かなかったらこのユア・ソングスまで来てないし。その時代、その時代には、色々なアーティストが出て、色々なアーティストが消えていくわけですけれども、僕もとっくの昔に消えていたと思いますよ。」

「でも、あの時アメリカ行って、えー、ちょっと待てよと、日本のこのちっちゃいところで、矢沢とか行ってる場合じゃねーぞ。世界はすげーじゃんと思っただけでも、それがこうやって58になっても、まだ武道館5DAYやれるところになってるんじゃないですか。そりゃー世界には強力なやつがいますよ。」


↑あの時、アメリカに挑戦しなかったら、僕なんかとっくに消えてましたよ。 (illustration by L&C)

平均身長が2メートルと言われる、アメリカのプロバスケットボール(NBA)で日本人初のプレイヤーとなった田臥選手は、身長が173cmと低く、長身揃いのNBAでは圧倒的に不利ですが、スポーツでもビジネスでも相手の常識ややり方に合わせて戦っていてはほとんど勝ち目はありません。

今シーズン、NBAのシーズンMVPになったステフィン・カリーの身長はあまり高くありませんが、彼は「スリーポイントが新しいダンクシュートだ」だと述べていますし、野茂選手もパワー勝負に見えるメジャーリーグも実際は「頭」の勝負で、ビル・ゲイツのような冴えた頭脳でバッターを打ち取るのだと自身の本の中で語っています。(17)

ソニー創業者の盛田昭夫さんが次世代へと託した「21世紀へ」という本の中には、アメリカではこうだから、日本もそうしろというものではなく、アメリカがそういうやり方だから、それをよく知ったうえで、それに対抗する力を身につけるために日々努力し続けなければならないと、20世紀を徹底的に戦い抜いた経営者から、21世紀を生きる日本人に向けて、世界で勝ち抜くためのアドバイスが残されています。(18)


↑デカイ相手に高さで勝負してどうする、議論が得意な国民に議論で対抗してどうする。(TheDailySportsHerald/Flickr)

実際、孫さんが思い切って挑戦したスプリントの買収もT-Mobileの買収と合併の話が無くなったことで、正直、順調にいっているとは言いがたい状況が続いています。

それは、田臥勇太選手も矢沢永吉さんも同じことなのかもしれませんが、農村的なはみ出す者を批判する価値観がどうしても先行してしまう日本人は、誰も先陣を切って波風を立てる役をやりたがりません。

しかし、「野茂以前」「野茂以後」を見れば分かるように、日本人は誰かが殻を破ぶる、もしくは亀裂を入れることに成功すれば、我も我もと後に続く国民であることは確かで、上原選手も松井選手も「野茂さんがいなかったら、僕はメジャーでプレーできなかった」と語っています。


↑まずは成功よりも、亀裂を入れて、殻を破る。 (illustration by L&C)

野茂選手が海を渡ってから20年間で、50人以上のメジャーリーガーが生まれました。そのことについて、野茂選手はNumbersのインビューで次のように答えています。(19)

「驚きは、まったくありません。誰に言われたのでもなく、自分の意志でこちらにくると決めて行動した人たちです。(中略) 僕が今になっても評価されるのは、後に続いた彼らがよい成績を残したからですし。」


↑それは、誰に言われたのでもなく、自分の意志で行動した人たち。

世界一貧しい大統領として知られ、先日日本に来日したことでも話題になったウルグアイの元大統領、ホセ・ムヒカ氏は「日本人の本当の幸せ」ということに関して、次のような言葉を送りました。

「やってることを楽しんでいれば幸せ。 それが労働でなはなく、それが幸せだからです。 働くことは必要、それが好きなことなら精一杯やればよい。ひとつ忘れて欲しくないこと。『必ず“何か”を残しなさい』 残す。無駄をやめて“何か”を残す。何か少し価値のあるものを残す。必ず残す。」

恐らく、野茂投手や矢沢永吉さんが持っている今の充実感は成功や失敗というものではなく、「次の世代に向けて何か価値のあるものを残した」というところから来ているのではないでしょうか。

そういった意味で、人間が本当に死ぬ時というのは、息を引き取った時ではなく、人々に忘れられた時なのかもしれません。


↑人は『何か』を残せば、忘れられるまで人は死なない。 (illustration by L&C)

井上雄彦さん原作の「スラムダンク」の簡単な続編の最後で、主人公の桜木花道のリハビリを担当する医者がこんな風に話しかける場面があります。

「知ってる?桜木くん。日本人初のNBA選手がうまれたって。ほとんどの人が日本人にはムリっておもっていたらしいわ。だけど、ムリだっていうのは、いつだってチャレンジしてない奴よね。」

そうやって10万人に一人がチャレンジし、それに勇気づけられた1万人に一人、そして1,000人に一人がチャレンジすることで、いつの間にかそれが当たり前になっていく。

ご存知のように日本は出る杭は徹底的に打たれる社会ではありますが、「出すぎてしまった杭」であれば、そう簡単に打たれることはないのかもしれません。そういった意味で、批判が一切ない挑戦など、まだまだ青いものなのでしょう。

1.ロバート ホワイティング「野茂英雄―日米の野球をどう変えたか」(PHP研究所、2011年) Kindle 2.ロバート ホワイティング「野茂英雄―日米の野球をどう変えたか」 3.ロバート ホワイティング「野茂英雄―日米の野球をどう変えたか」 4.八月のトルネード「八月のトルネード」(ベストセラーズ、2009年) P18〜19 5.本田 直之「なぜ、日本人シェフは世界で勝負できたのか」(ダイヤモンド社、2014年) Kindle 6.松井 秀喜「不動心」(新潮社、2009年) Kindle 7.上原 浩治「覚悟の決め方」(PHP研究所、2014年) Kindle 8. 桜井 章一「負けない技術──20年間無敗、伝説の雀鬼の『逆境突破力』」(講談社、2009年) Kindle 9.荒木 博之「『海人』野茂英雄の研究―『海型』『ムラ型』の比較日本人論」(祥伝社、1996年) P32 10.大前 研一「稼ぐ力: 『仕事がなくなる』時代の新しい働き方」(小学館、2013年) Kindle 11.大西 孝弘「孫正義の焦燥 俺はまだ100分の1も成し遂げていない」(日経BP社、2015年) Kindle 12.マルコム・グラッドウェル「逆転! 強敵や逆境に勝てる秘密」(講談社、2014年) Kindle 13.上原 浩治「覚悟の決め方」(PHP研究所、2014年) kindle 14.村上春樹「職業としての小説家」(スイッチパブリッシング、2015年) Kindle 15.小松 成美「中田英寿 誇り」(幻冬舎、2009年) P133 16.児玉光雄「錦織圭 マイケル・チャンに学んだ勝者の思考」(サンクチュアリ出版、2014年) Kindle 17.野茂 英雄「ドジャー・ブルーの風」(集英社、1997年) P124 18.盛田 昭夫「21世紀へ」(ワック、2000年) P39 19. Numbers 平成27年5月27日発行

/NOMO