April 9, 2015
東京で暮らし続ける人に未来はない「金融の時代は終わった。農業をやろう。」

良い農法でイネを育てると、田んぼがホタルだらけになり、ホタルが2000匹になると、人が2000人集まり、その何人かは、「そのお米を食べたい」と述べるそうですが、最近の人が思い描く”良い仕事”とは、オンライン上に実体のないものを作り上げ、そこからどうにかして課金していくものが多く、長い間、物理的なものに触れない期間が続くと、何となく自分が宙に浮いているような気がして、心落ち着かない経験は誰にでもあるのではないでしょうか。

「バカの壁」の著者として知られ、東京大学名誉教授でもある養老孟司さんは次のように述べています。

「私は敗戦時に小学2年生だった。あの社会的な価値の転換を見てしまうと、モノに直接携わることの大切さがしみじみとわかる。モノに関わらないと、むしろ不安でしょうがない。こういう時代にモノに携わったり、ごくふつうの日常を研究している人に会うとホッとする。」


↑直接モノに触れる仕事をしている人に会うと、なんだか落ち着く。

現代では、環境省というものがありますが、江戸時代の人には「環境」という概念はなく、日本人は田んぼのコメや海の魚を捕って食べて生きているのだから、田んぼや海は自分の一部で、自然を大事にするのは当たり前のことでした。

なんでも、東京の食料自給率は1%ほどしかなく、ほとんどの人がビルに押し込まれた会社勤めをしていますが、もともと日本人の9割は農村の子孫で、農民の遺伝子を受け継いていることを考えると、コンクリートのビルの中でサラリーマン生活をしている方がよっぽど不自然で、この妙に心が落ち着かない感情の揺れは、直接モノや自然に触れなくなったことが大きな原因なのかもしれません。


↑農家の子孫がスーツを着て、ビルの中で仕事している方がよっぽど不自然 。

ジョージ・ソロスのパートナーとして知られ、冒険投資家としても知られるジム・ロジャーズは、安倍総理は日本を破綻させた人物として歴史に名を残すと述べた上で、「金融の時代は終わった。農業をやろう。」と述べていますが、どれだけアベノミクスで景気が一時的に回復しているように見えても、恩恵を受けているのは土建関係の企業や一部の大企業だけで、99%以上が中小・零細企業である日本では、「景気がよくなった」とマスコミやメディアがいくら盛り上げても、現状は全く変わっていません。


↑ジム・ロジャーズ「金融の時代は終わった。農業をやろう。」

実際、日本は食料自給率が低く、国民は食料に関して危機感を持つべきだと政府はしつこく言いますが、もし政府が言う通り、日本の食料自給率が40%ほどしかないのであれば、スーパーに並んでいる農産物の大半は外国産ということになりますが、スーパーには十分すぎるほどの野菜や果実が並び、品質に関する不満はあまり聞こえてきません。

これは政府が自給率を「生産額ベース」ではなく、「カロリーベース」で計算して、意思的に自給率を低くすることで、食に対する危機感を抱かせようとしているからだと、「日本は世界5位の農業大国」の著者である浅川 芳裕さんは指摘していますが、実際にその通りなのではないでしょうか。


↑もし政府が公表している自給率が正しければ、日本人の農産物の半分以上は外国産ということになる。

カロリーベースで自給率を計算しているのは世界でも日本ぐらいで、なぜこんなことをするのかと言えば、衰退する農家、そして飢える国民のイメージを演出し続けることぐらいしか農水省の役割はなく、彼らは国民の食を守るというよりは、どうすればラクに儲けらるか、天下り先の利益をどう確保するかという自己保守的な考え方で、農業の政策を仕切っています。

実際、日本の食料は余り過ぎで、日本では年間約190万トンの食料を廃棄しており、これは世界の食料援助量の約3倍に当たるそうですが、農水省のやることが無くなってきているということは、マーケットが成熟し、政府・官僚主導による農業経営が終わりに近づいていることを意味しているのかもしれません。


↑もう政府、官僚主体の農業は終わり。(CSIS/Flickr)

東京の食料自給率は1%しかないのであれば、東京の生活は田舎からの食料の提供がなければ成り立ちませんが、食料は水を含んで重たいため、流通には莫大なエネルギーが必要となります。

地方にいくら食料があっても、都会に運んで来られなければ意味がありませんが、日本人の食の流通は、外国産のエネルギーでまかなわれており、都会に住む人たちは、事実上、外国からエネルギーを買うために一生懸命働いていると言ってもおかしくないのかもしれません。


↑都会の人は食料の輸送コストを補うために一生懸命働いている。

もしかすると、食料を遠くから持ってくることは贅沢で、食料が”都会”へ動くよりも、人間が”地方”へ動いた方が効率が良いのではないでしょうか。

東京大学名誉教授の養老孟司さんは、「参勤交代を復活させるべき。都会の人は、例えば1年のうち3ヶ月は田舎で暮らす、という制度をつくったらどうか」と述べていますが、本当にその通りで、1年の12ヶ月も会社で必死に働くほど、日本社会が困っているとはとても思えません。


↑都会の人は地方へ「参勤交代」すべき。

クリエイターの高城剛さんは、「アイディアと移動距離は比例する」として、景色、街並、空気、音、そして人など、環境の変化が五感を刺激することでクリエイティビティーが活性化されるため、とにかく短いスパンで地方と都市、もしくは国内と海外を移動し続けることを勧めていますが、都会に住む人たちが参勤交代するエコシステムができれば、現在都会でインターネットのバチャール漬けになっている人たちも、モノに直接触る感覚を取り戻し、お金儲けだけではなく、もっと別の大切な何かに気づくのではないでしょうか。


↑都会と地方を「短いスパン」で往復することがクリエイティビティーを活性化させる。

高度経済成長期に若い世代が都会に出てきたのは、地方の「絆」という面倒くさい人間関係を断ち切るためでもありました。

その後、日本は大きな発展を遂げますが、現在では正月やお盆に帰る故郷がない人が増えており、結局のところ日本人は、戦後の「絆」をお金という概念で考えてきたのかもしれません。

今、山の中で昆虫採集に行くと、神経毒で足を引きずっている虫がいるそうで、過去50年、人間が自然に対してやってきたことが、最近になってボディブローのように効いてきていると言います。


↑人間の自然破壊がボディーブローのように効いてきた。

もともと日本人は自然を愛する優しい人種でした。しかし、何が日本人の心を変化させたのかは分かりませんが、過去50年、経済繁栄と引き換えに失ってしまったものが多いのも事実です。

以前の記事でも述べていましたが、「龍馬がゆく」などの著者として知られる、故人・司馬遼太郎さんは、「今の日本人の大多数が”合意”すべき何かがあるはずで、不用意な拡張や破壊を止めて、自然を美しいものとする優しい日本に戻れば、この国に明日はある」という言葉を残しました。

モンゴル800も沖縄の自然が破壊されていく中で、「平和願い叫ぶ前に、これ以上自然を壊さないで」と歌い、当時の社会情勢に敏感であったブルーハーツも、「1985 (年)今、この空は神様も住めない。 そして海まで山分けにするのか。誰が作った物でもないのに。 選挙ポスターもあてにはならない。」と、ひたすら社会に対して歌い続けました。


↑そして海まで山分けにするのか。誰が作った物でもないのに。

自然を壊し続け、また新しいビルを建て続ける、終戦から70年経った現在でも、過去の価値観から抜け出せない私たちは未だに、「戦後」の日本を生きているのでしょう。

不用意な拡張や破壊を止めて、自然を美しいものとする優しい日本に戻った時、初めて、「戦後」は終わったのだと自己満足していいのではないでしょうか。

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