May 5, 2017
「最近の若者は、」と口にした時点であなたの負け。若者の考えはどんな時代であろうと絶対に正しい。

(tokyoform_CC_Flickr)

どんな時代でも「最近の若者はたるんでいる」というのが、ある程度の人生経験を積んだ大人が若者に対してコメントする時の決まり文句です。

従来、若者の仕事の価値観というものは、先輩や師匠の持っているスキルを盗み、「どんどん学ばせて下さい」「これも自分にやらせて下さい」という前向きな姿勢が普通でした。

しかし、最近では若者に対して、仕事はこうゆうものだと説いても、大して関心を示さず、お酒でも飲みながら腹を割って話そうと言えば、拒否反応を示すなど、最近の若者は本当に何を考えているか分からないというのが、40代、50代の方の率直な思いなのかもしれません。


↑いつの時代も決まり文句は「最近の若者は、」だが、近年の若者は本当に何を考えているか分からない。

実際、ゆとり世代と呼ばれる現代の若者は、生まれてすぐにバブルが弾け、「日本はもうダメだ」、「アジアの国々にじきに追い抜かれる」、「高齢化が世界一深刻」など言われながら育ち、やっと社会に出たと思ったら、リーマンショックや震災が起こるなど、とにかく世の中の悲観的なところばかりを見てきているため、自分自身の中に根本的な自信を持てないまま社会人になってしまいました。

明治大学の齋藤孝教授は、現代の若者は、わざわざ怒鳴ったりしなくても、もの凄く厳しい試練を耐え抜く潜在的な力は持ち合わせていると言います。

しかし、生まれてから全くいい時代を経験していないため、無性に「褒められたい願望」が強く、また、即戦力が求められ、社員教育が手薄な時代だからこそ、徹底的に「かまってあげる」ことが、ゆとり世代が持っている潜在能力を引き出す大きな要因になってくるようです。(1)


↑ゆとり世代の人達は、生まれてから一度も、「いい時代」を体験したことがない。

上田昭夫監督が率いた慶應ラグビー部は、1980年代当時、アメリカ海軍の訓練よりもきついと言われ、まさに体育会系そのものの組織で、大きな功績を残しましたが、上田監督が勇退してからの10年間、それまで常連であった全国大会にも出れず、低迷期が長い間続きました。(2)

その後、再び上田監督が監督として復帰しますが、再度現場に戻ってみると、十数年前はトップダウンで動いてくれた選手が自分の指示をすんなり聞いてくれなくなっていたのだと言います。

上田監督は、無理に過去の自分のやり方を押し通そうとするのではなく、「どうも時代が変ったみたいだ」とすぐに時代の変化を理解し、生徒に積極的に近づくことで、学校のことを聞いたり、「お前たちを大事にしている。認めている」という想いを自身の行動の隅々にまで表して、低迷してラクビー部を復活させていきました。


↑「オレの権威も落ちぶれたもんだ」と考えるか、「どうも時代が変ったみたいだ」と考えるか。

また、箱根駅伝で3年連続優勝を果たした青山学院の原晋監督も、部員がチャラチャラしているのをいちいち注意することはなく、20キロ走るのに、なぜ20キロ走らなければいけないのかをしっかり説明したり、自宅に呼んでプライベートも一緒に過ごしたりするなど、ゆとり世代という世にも不思議な世代を本気で理解しようとしてことが、青山学院の成功の一番の要因だったのでしょう。(3)

マーク・ザッカーバーグも22歳の時に「若者のほうが賢い」と断言し、ジャパネット高田の高田明元社長も社長を退任した理由について、自分が正しいと確信していたことが、少しずつ揺らぎ始め、若い人の方が先を見通していることもあることを痛感したと自らの著書の中で語っています。(4) (5)


↑若者は常に正しい。世にも不思議な世代を理解しようという心構えがあるかどうか。

そして、かの本田宗一郎も「いまの若い人というのは、けっしてバカにしたものではない」として次のように述べています。(6)

「僕が一番感じたことは、終戦直前僕の月給は百五十円だった。戦後、 世の中が急激に変わって、うちの子供に小遣いを十円やっても機嫌が悪い。どうしても百円くれといってきかない。」

「ところが百円というと、こっちにしてみれば、ついこの間まで貰っていた月給の 大半に当るわけだから、心中穏やかではない。そんな無茶なことをいうもんじゃないとたしなめても、子供は『そんなこといったって十円じゃ何も買えないよ』あっこと反論してくる。」

「そこで僕は考えた。大人というやつは、うんと進歩的にものを考えても、以前はこうだったという観念が根強く残っている。子供には過去がないから、そのときの相場でモノをいう。そしてそれが一番正しい評価であることが多い。」


↑新しい時代を生きる若者が、時代の最先端の感覚を持つ。

つまり、現代の若者たちは高いスキルを持ち、厳しい試練を耐え抜く潜在的な力を持っているにも関わらず、肝心な情熱が足りないのであれば、若者たちと接する年配の人達が、松岡修造さんのような「熱さ」を持って接してあげることで、若者の中で眠っている情熱を呼び覚ましてあげなければなりません。

スポーツ科学の第一人者である、東大大学院の深代千之先生は、世界記録が出た環境を基に、日本人が100メートル走で10秒を切るための条件を3つ導き出しました。

一つは風を含めた現場のコンディション、2つ目は本人の体調で、これらは当然と言えば当然ですが、3つ目の条件は「観客からの完璧な応援」なのだそうで、応援には緊張感とプレッシャーを新たな力に変換する力が備わっています。


↑若者が「熱さ」を持っていないのであれば、誰かがそれを呼び起こしてあげなければならない。

松岡修造さんも自らの著書の中で次のように述べています。(6)

「(中略)僕は本気で頑張っていると思う人には、決して『 頑張れ』とは言いません。すでに頑張っている人の背中を無理やり押しても、それはただの余計なお世話になってしまうとわかっているからです。その代わり僕は『 頑張っているね』と言うようにしています。」

「『頑張れ』と『頑張っているね』では、同じようでいてだいぶニュアンスが異なります。『頑張っているね』はすでに十分に頑張っている相手の努力を『ちゃんと見ているよ』と伝える言葉でもあるのです。」


↑完全に自信を失っている若者にとって「頑張れ」と「頑張っているね」では意味が全然違う。

そして、ゆとり世代の若者にとっての最大の喜びは、自分のエネルギーを最大限に注いだことが認められ、それをほめてもらうことであり、金銭的な評価は、その中の一部に過ぎません。

野茂英雄投手が渡米した当初のドジャースの監督、トミー・ラソーダ氏は「ほめる」という行為は、ただ「すごい!」「素晴らしい!」という言葉を連発するのではなく、相手が他人の口を通して、心から聞きたがっている言葉を伝えて初めて、「ほめる」という行為は完結するのだと断言します。(7)


↑相手が心の底から言ってほしいことを伝えて、始めて「ほめる」という行為が完結する。

基本的に従業員の「成果」は、数字を見れば分かりますが、従業員の数ヶ月単位の「変化」は、しっかりと気を使って観察していなければ見つけることはできません。

どんな人でも数ヶ月間、必死に努力すれば、大きな変化が見えてくるわけですから、仮に成果が全く出ていなかったとしても、そこにたどり着くまでのプロセスを評価してあげることは絶対にできることでしょう。

現在、40代・50代の人達の時代は、大したスキルはないけど、熱意とやる気だけは人一倍あった時代でもありました。

しかし、ゆとり世代の若者はそれが全く逆で、優れたスキルや思考は持ち合わせていますが、生まれてからというもの、日本のネガティブな部分ばかりを見て育ってきたために、自分のスキルや思考にいまいち自信を持つことができずにいます。


↑成果ではなく、変化に評価軸を移せば、ゆとり世代のモチベーションはどこまででも伸びていく。

青学の原監督に言わせれば、「人間の能力に大きな大差はなく、あるとすれば、熱意の差」なのだそうです。

その熱意をどう呼び起こしてあげられるかは、非常にクリエイティブな行為であり、ただの管理職と原監督のように結果を出し続けるリーダーとの違いが今後どんどん明確になってくることでしょう。

若者は基本的に正しい。「最近の若いやつは、、」などと言うセリフが多くなったら、自分がそれなりに歳をとったという証拠なのです。

参考書籍◆1.齊藤孝「若者の取扱説明書」PHP研究所、2013年 Kindle ◆2.鈴木義幸「コーチングのプロが教える『ほめる』技術」日本実業出版社、2009年 Kindle ◆3.原晋「逆転のメソッド 箱根駅伝もビジネスも一緒です」祥伝社、2015年 kindle ◆ 4.高田 明「伝えることから始めよう」東洋経済新報社、2017年 Kindle ◆5.井深大「わが友 本田宗一郎」ゴマブックス株式会社 ◆6.松岡修造「応援する力 」朝日新聞出版、2013年 Kindle ◆7.鈴木義幸「コーチングのプロが教える『ほめる』技術」日本実業出版社、2009年 Kindle

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