February 4, 2020
電車や飛行機で隣の人と話さない事は、8割の人生を無駄にしている事になる。

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スタンフォード大学の教授で、キャリア論の研究で有名なジョン・D・クランボルツ教授の研究によれば、人生の8割は計画した通りにはいかないのだと言います。

これは、別の言い方をすれば、人生で計画できるのは2割程度で、残りの8割は偶然を受け入れることによって進んでいくと捉えることもできる。

逆に偶然を受け入れようとしなければ、人生の8割の可能性を自ら排除していると言えるのかもしれません。


↑人生の8割は偶然で、計画できるのは2割。

幸福という言葉は、「幸」も「福」も同じ「さいわい」という意味。

思想家の安岡正篤は「幸」は、幸いの原因が自分の中にはなく、偶然的に他人から与えられたもの、「福」とは自分の努力で勝ち取ったものだと指摘しています。

つまり、「幸」とはたまたまお金持ちの家に生まれたとか、たまたまクラスメイトだった天才とビジネスを始めた上手くいったなど、偶然的な要素から生まれる幸せを指すのでしょう。

人生とは、自分の力で切り開いたように見て、偶然的な他人の影響をものすごくたくさん受けている。

最近では、買い物、レストラン、旅行先、そして、日々の人間関係もが、アマゾン、グーグル、フェイスブックのアルゴリズムで決められ、偶然の要素が入り込む隙間がどんどん無くなってきています。


↑自分で切り開いているように見えて、他人の影響をものすごく受けている。

電車に乗っても、飛行機に乗っても、すぐアルゴリズムが導くスホマの世界に入り込み、たまたま偶然隣に座った人が導いてくれる偶然の可能性を一瞬で消してしまう。

アメリカという国がいいなと思うのは、電車や飛行機の中でも、気さくに話しかけてくれて、アルゴリズムでは絶対にたどり着けない世界に連れていってくれること。(面倒くさい人も多いけど。)

コント55号の萩本欽一さんは、神様が運や偶然を人に与える時、直接与えるのではなく、必ずメッセンジャーを送って、人を仲介役するのだと述べています。

つまり、常にアルゴリズムが導くオンラインの世界にへばりつき、電車や飛行機で偶然隣に座った人の存在を無視してしまうということは、神様が与えようとしてくれている運を無視していることにもなる。


↑神様が運を送ろうとする時、必ず仲介役を送る。

本を読むにしても、レコメンデーションで進められる本より、本屋で偶然見つけた本を読んだ方が読書体験の質が上がるのだと言います。

これは人間関係も同じことで、日常の悩みなどは親しい人に相談するよりも、偶然隣に座った人に相談した方が、意外と参考になるアドバイスをくれることも多いのだろう。

むしろ、最近の悩みに対するアドバイスも大体同じようなものが多く、テンプレート化してしまっていて、心に響かないため、なかなか行動に移することができません。

そう言った意味では、たまたま飛行機で横に座って、あなたのことなど全く知らない無責任な人の無責任なアドバイスの方が、あなたの新しい将来を開く可能性があるのだと言えます。


↑無責任な人の無責任な発言にこそ価値がある。

1970年代にアメリカの社会学者、マーク・グラノヴェター氏が行った調査でも、転職という人生の転機になる話は、頻繁に会っている人からよりも、ほとんど会っていない弱いつながりの人から来るほうが圧倒的に多かった。

キャリアの80%は偶然ですが、出会うべき人に出会っている人は、同じレジに並んでいる人に閉店時刻を聞いたり、パーティーで「その服はどこで買ったの?」と聞くことで、コミュニケーションのキッカケをつくったり、飛行機で隣に座った人に何の本を読んでいるのかと話かけたりするなど、偶然のチャンスを自ら作り出し、確率論的な概念から新しいチャンスを生み出しています。


↑80%の偶然は、確率論的に自ら作り出す。

ミドリムシを使って健康食品を開発し、東証1部にまで上場したバイオベンチャーのユーグレナは、とにかく色々な企業に売り込みに行っても成約につながらず、最終的には500社に断られました。

そして、伊藤忠が製品に興味を持ってくれたことで、事業が大きく拡大していくことになります。

ユーグレナの社長の出雲さんは、ある本のインタビューで当時のことを振り返り、日本国内で訪問しなかった企業はないというぐらいとにかく営業をしたと述べ、伊藤忠との巡り合わせは、まさに偶然でしかなかったのだそうです。

恐らく、絶対的な量をこなしたからこそ、それが次第に質に転換していったのでしょうが、偶然のチェンスは常に心構えがあるものに味方をすることは間違いないでしょう。


↑量が質に変わった時、偶然が味方をしてくれる

偶然がもたらす可能性は、何も人との出会いだけに限りません。写真だって、高いカメラを買えば、いい写真が撮れるわけではなく、一番大事なことは、写真を撮る前に、どれだけ偶然を受け入れられる心構えができているかということ。

旅行先にしても、グーグルで検索しておすすめスポットを探したところで、大した感動を得ることなんてできない。

実際は、ダーツを投げて刺さったところの行ったほうが、ネット上にはまだないものを見ることができ、ほとんどの人が体験していないことに触れられることでしょう。


↑いい写真が撮れるかどうか、偶然を受け入れられる心構えがあるかどうか。

データやアルゴリズムが完全に支配するインターネットの中に閉じこもれば、閉じこもるほど、偶然によって新しい可能性が開くチャンスは減っていく。

スタンフォード大学のクランボルツ教授の「人生の8割は計画した通りにはいかない」が正しいのであれば、インターネットの中に閉じこもることで、狭い2割の可能性の中で生き、偶然が生み出す8割の可能性を排除していることになります。

今後確実に広がっていく、データが世界のすべてを形成する世の中では、インターネットの外、アルゴリズムの外、そして、レコメンデーションの外の偶然の可能性をどれだけ必然化できるかが、その人の本当の価値になってくるでしょう。

どれだけ探してもインターネット上に、宝は存在しない。

参考書籍

■植島 啓司「偶然のチカラ」集英社、2007年 ■澤泉 重一「偶然からモノを見つけだす能力」KADOKAWA、2014年 ■望月 智之「2025年、人は『買い物』をしなくなる」クロスメディア・パブリッシング、2019年 ■東 浩紀「弱いつながり 検索ワードを探す旅」幻冬舎、2016年 ■中西 祐介「『いい写真』はどうすれば撮れるのか?」技術評論社、2016年 ■菅原 一剛「写真がもっと好きになる。」SBクリエイティブ、2008年 ■山口 周「天職は寝て待て 新しい転職・就活・キャリア論」光文社、2012年 ■萩本 欽一「続・ダメなときほど運はたまる」廣済堂出版、2015年 ■ロジェ カイヨワ「遊びと人間」講談社、1990年

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