僕たちは、人生で起こるすべてのことを、自分の意志で自由に決めていると思っている。
しかし、脳神経科学の実験によれば、「自分で◯◯する」と意思決定する0.35秒くらい前には、無意識的な脳の神経活動があらかじめ意思決定を終えているのだと言う。
実際、脳が最初に意思決定をしていないのだとしたら、人生とは、何か目に見えない力によって、既に決まっている運命に向かって、流れるように進んでいるだけなのかもしれない。
↑自分で意思決定する前に、無意識的な脳の神経活動が、意思決定を終えている。
医師であり、東京大学名誉教授でもある矢作直樹さんは、「この世」はスポーツ選手のように一所懸命に走ったり、跳んだりする競技場であるのに対し、亡くなった後の「あの世」は観客席で、僕たちがやっていることをポップコーンを片手に応援する場所なのだと言います。(1)
そして、ずっと応援をしていると、「自分もやってみたい。」、「自分だったらこうするのに」というアイディアが湧いてきて、自分なりのテーマ、つまりは運命のようなものを決めて、「この世」に戻ってくる。
そう言った意味では、やり遂げた時の達成感から、困難な人生を自分の運命と設定して、挑戦する人も多いのだろう。
↑この世は競技場。あの世は観客席。(Pic by LC)
生まれた時から運命が決まっているなどと言うと、どんなに頑張っても、運命を変えることはできず、元も子もない気がしてしまいます。
でも、運命は決まっているからこそ、未来に対して安心感を持てるのだろうし、過去に対しての後悔も無くなるのだと言える。
同じ映画や漫画を何回も読んで、結末が分かっていたとしても、映画や漫画を楽しんだり、感動したりすることができます。
武術研究家の甲野善紀さんは、「人間の運命は完璧に決まっていて、同時に完璧に自由である」と述べており、この言葉をそのまま受け止めようとすると、大きな矛盾が生じてくる。(2)
これは、甲野さんいわく、表側は予定がびっちり詰まっていて、裏側は真っ白な予定帳のようなもので、この表と裏の狭間で、多少の矛盾を抱えながら生きていくのが人生というものなのかもしれない。
↑運命は決まっているからこそ、未来に対して安心感が持てる。(Pic by LC)
宮崎駿、村上春樹、そして、スラムダンクの井上雄彦などは、自分が「こうしよう!」、「こうしたい!」と考えてストーリーをつくっていくのではなく、キャラクターが求めている動きや言いたがっていることを描いてあげることで、運命に導かれたようにキャラクターやストーリーが勝手に動き出し、作品になっていくのだと言います。
ある意味、人間の人生もこれと同じことなのかもしれない。
自分の「こうしたい」という考えではなく、既に決まっている運命に対して、その道筋を間違えないように見定めながら、自由に生きていくことが、人生という作品づくりに関しては、重要なのだろう。
Note
1.矢作直樹『「自然死」のすすめ ~「死に上手」になるために』扶桑社、2020年 2.甲野 善紀, 前野 隆司『古(いにしえ)の武術に学ぶ無意識のちから - 広大な潜在能力の世界にアクセスする“フロー”への入り口』ワニブックス、2019年