November 1, 2014
「今すぐに役に立たないこと」を命がけでやっている人が本当の日本の宝

ニューヨーク在住のKAYO W. FOSTERがフランスを旅行して、日本人とフランス人の「品格」の違いが非常に興味深かったと連絡をくれました。日本でも約10年前、「国家の品格」という本がベストセラーになり、一時期な社会現象にまでなりましたが、あれから私たちは日本人としての「品格」を取り戻しつつあるのでしょうか。

私がアメリカ留学中に読んだ本の中で最も印象に残ってるのが「若き数学者のアメリカ」「遥かなるケンブリッジ」という本で、両方とも数学者である藤原正彦さんによって書かれています。

「遥かなるケンブリッジ」の中で藤原さんは次のように述べています


藤原正彦さん

「毎度のことだが、私は外国に出ると、途端に熱烈な愛国者になる。日本にいる時は、日本や日本人の悪口ばかり言っているのに、国外に出るや、一切の批判を許せなくなる。昭和天皇のことをヒロヒトなどと呼ばれるだけで、たとえ相手に軽辱の気持ちはなくとも、ひどく苛立ってしまうのである。外国で暮らすということは、日本を常に、そして過剰に意識することなのです。」

私自身もアメリカで6年間暮らしていたこともあって、日本に帰ってきてからは日本の悪口ばかり言ってしまうのですが、海外に行ったり、外国人と話す時などは、突如愛国者になってしまい、日本の悪口を言われたりするとついついムキになって反論してしまいます。


外国で暮らすということは、日本を常に、そして過剰に意識することである。

白州次郎はサンフランシスコ平和条約を日本語で読む姿を見て号泣し、三島由紀夫はドイツのハンブルグ港で、船のマストにかかる日の丸を見た時、突然涙が流れ落ちてどうしようもなかったと言い、落合信彦さんはラジオから聞こえた民謡を聞いた瞬間、急に日本が恋しくなり、会社を売却して日本に帰ることを決めたと何かの本に書いていました。


日本語で堂々と読み上げる姿に涙した白州次郎

そして藤原さんも真珠湾を観光し、超低空飛行で果敢に日本軍が突っ込むところを想像しては、「美しい、途方もなく美しい」と涙を流さずにはいられなかったそうです。


自然と涙がこぼれた

私たち日本人は戦後の焼け野原から立ち上がり、歴史上稀に見る経済大国になって世界をあっと言わせましたが、今は同じようなことをお隣の国がやっています。カメラをぶら下げてブランド物を買いあさり、通常の3倍はするオイスターやキャビアをシャンパンで流し込む姿を見る海外の目はやはり厳しいです。

バブル崩壊後、いつも日本で話題になるのは経済で、国際競争に勝つために小学校で英語やパソコンの教育を始めたり、経済を活性化させるために起業家育成などを促進していますが、それが本当に日本が歩むべき道なのでしょうか。


日本人が英語を話せば世界中から尊敬されるのか?

イギリスは近代的民主主義を作り、フランスは人権思想、ドイツは哲学や古典音楽、そしてアメリカは競争社会の思想を作り、映画、音楽、スポーツを世界に広めました。

アメリカはさておき、経済的にも軍事的にも日本と大して変わらない、イギリス、フランス、ドイツの三国が国際舞台で堂々とリーダーシップを発揮しているのはなぜでしょうか?藤原さんは次のように述べています。


国力は同じなのに、なぜ欧米のリーダーは存在感があるのか

「日本の繁栄を見る世界の目が、羨望ではあっても決して尊敬とならないのは、その原動力たる技術革新が、自国の経済的優位を企図するものと見なされているからである。尊敬の目で見られるには、普遍的価値の創造による人類への貢献が、不可欠である」


野口英世:PCや英語ではなく人類を促進させる普遍的価値を生み出せ

ハイテク商品を売るだけでは、世界から羨ましがられることはあっても、尊敬される真の大国にはなれないのかもしれません。

イギリスの世界覇権は1900年初頭に終わり、以後国力をジワジワと落としてきましたが、ノベール賞の受賞者は世界でダントツに多く、常に普遍的価値を生み出しているため国力を失って100年経っても、イギリスは未だに尊敬される国であり続けています。


ハイテク技術を売るだけでは世界からは尊敬されない

経済なんて100年ぐらい衰退したところで、日本は消えてなくなりません。常に人類を促進させる普遍的価値を意識し、「すぐに役に立たないこと」を命がけでやっている人の層が厚い国がこれまでも、これからも、世界で尊敬され続けるのです。

グローバルな時代にはローカルの付加価値が最大の武器になる


日本文化は国際社会では最大の武器

もし経済的に効率の良い世界を作りたいなら、明日から生まれてくる赤ちゃん全員に英語を教えたら良いと思います。

そうすれば30年後、40年後には世界中の人全員が英語で会話し、意思疎通が問題なくできる効率の良い世界が出来上がります。でもそんな世界なら地球ごと爆破してしまった方が人類のためかもしれません。

フランスではパリのような大都会であっても、伝統的な庭のメンテナンスはしっかりと行われているし、デジタルではなく紙で新聞を読む人がかなり多いと聞きます。さらに今はどうか知りませんが、私が数年前にフランスを訪れた時には、英語で話しかけるとものすごく怒られ、国際社会の中のローカライズとはこうゆう意味か、と自覚したのをよく覚えています。


↑グローバル社会の中のローカライズ

藤原さんはアメリカには「涙」がないと指摘します。壮大なグランドキャニオンや地平線に沈む夕日、無数にある湖の水の青さ、どれも美しいものではあるけれど、感動して涙を流すことは一度もなかったそうで、その時のことを次のように表現しています。

「私は日本で美しいものを見ても、それが単に絵のように美しかったから感動ていたわけではなかった。その美しさには常に、昔からの数え切れない人々の涙が実際にあるいは詩歌などを通じて心情に渗んでいた。」


↑日本の景色には涙がある。刻んでいる歴史の量が違うのだ

フランスにも親戚や友人との付き合い、食のマナーや言葉遣い、代々受け継がれる家族の習慣など、彼らの生活を豊かにする「歴史」は数えきれないほどあり、その歴史がフランス人の品格を保っています。

しかし、日本やフランスに比べてアメリカには「歴史」がほとんどありません。アメリカという国はたかが200年程度の間、祖国を捨てた人が同じ大陸に集まり、憲法という紙切れ一枚の下で生活しているに過ぎず、文化や伝統などローカルな文化が重要になる21世紀は、アメリカにとってとても厳しい時代になる可能性があります。


歴史がないアメリカ:21世紀は厳しい時代になる

現在進んでいるグローバリゼーションは日本の文化や伝統、そして美しい田園を守るという概念とは全く逆のもので、文化や伝統の衰退を促進させるもののように思います。

「20世紀の最後の頃から跋扈し始めたグローバリズムは、冷戦後の世界覇権を狙うアメリカの戦略に過ぎません。世界はこれに対して、断固戦いを挑まなければいけない。グローバリズムは歴史的謝りと言ってよいものだからです。」(藤原正彦)


世界を一つにしようとするグローバリズムに戦いを挑め

国々が隣接し文化が歴史的にも混ざり合ったてできた現在のヨーロッパの国々は、個人であれ、国家であれ、常に自分というものを持っていないと、知らぬ間に隣の国の影響を受け、国境を超えて支配されてしまうという危機感が常にあります。

そう言った意味で、母国の文化や伝統を大切にするフランスは、現在進行中のグローバリズムに戦いを挑んでいる勇敢な国のひとつでないでしょうか。

小学校で「英語」を教えたら日本から国際人がいなくなる。プログラミングを教えたらエンジニアがいないくなる


私たちは子供達にどんな未来を残してあげられるだろう

なぜ毎年5歳未満の子供が300万人餓死するインドで、素晴らしいエンジニアが多いのでしょうか?ノートを買うお金がなく、小さな石板で読み方を習っている子供の中の何人が、パソコンに触れることができるのでしょうか。

エンジニアになるためには、算数、数学を基本とした論理的思考を鍛えることが欠かせません。インドに素晴らしいエンジニアが多いのは、小学校、中学校、そして高校の数学が素晴らしいからだと言われています。


かけ算を「19×19」まで覚えるインド

どんなに英語力に自信がある日本人の方でも、アメリカ人やイギリス人のネイティブ・スピーカーの英語力には敵わないでしょう。しかし、アメリカ人の何%が国際人という名にふさわしいでしょうか。恐らくアメリカ国民の一割にも満たない数%です。

確かに英語はこれからの時代に必要なのかもしれませんが、もっと大事なのはその人自身の中身であり、自国のこともまともに語れない日本人は海外で間違いなく尊敬されません。


村上春樹:海外で尊敬されるのは「中身のある日本人」

イギリスではオックスフォードやケンブリッジ、フランスではグランゼコールを中心に何にも役にも立たないような教養をたっぷりと身につけ、「いざ」となれば国家、国民のために喜んで命を捧げるとエリートをしっかりと育成しているため、国際的な舞台でもしっかり存在感を見せつけることができます。

「はっきり言えば、一万人の殺人犯がいても、先進国は何ともない。しかし、一万人の真のエリートがいなかったら潰れます。」(藤原正彦)


明治維新:一万人のリーダーがいれば、この国は潰れない

伝統と現代を上手く調和させ、豊かで犯罪の少ない世の中を作った日本は、混迷を続ける世界情勢を救う重要なカギをいくつか持っています。

平和や軍隊縮小に関しては平和憲法が強みになるだろうし、人権に関しては白人でないことが有利になる可能性もあります。欧米は政治にしても、ビジネスにしても、多くのことを論理的に判断しようとしますが、本当に大事なことは論理では説明できません。


欧米は論理的思考を重視

例えば人を殺していけない論理的理由なんてひとつもありません。もし、一日時間をもらえれば、人を殺しても良い理由など限りなく上げることができますし、人を殺してはいけない理由も同じくらい見つけることができます。人を殺してはいけない理由は「駄目だから駄目」という説明だけで十分で、論理的思考も議論の余地も必要ないのではないでしょうか。


武士道:駄目だから駄目。「以上、終わり」です

この「駄目だから駄目」という考え方は、日本人が生まれつき持っているものではなく、国語や道徳の授業によって補われているものだと言われています。

国際化を見据えて英語の授業を増やすことは必然と国語の授業を減らすことになり、日本に欧米式の論理思考で物事を判断する「普通の人間」を多く増やしているだけではないでしょうか。


「1に国語、2に国語、3,4が無くて、5に数学」

これからの国際化、そして情報化社会を生きていくためには英語やプログラミングのスキルは間違えなく重要です。しかし、それを初等教育で教えるべきかはまた別の問題なのではないでしょうか。

投資家のジムロジャースは「株価が上がっているから、株を買うのは一番愚かなこと。賢い投資家は株価が下がっている時に”買い回す。”」っと言っていましたが、英語やプログラミングも同じことで、すぐ役に立つから小学校でも教えようとはあまりにも単純な気がします。


株価が上がっているから、株を買うのは一番愚かなこと

私自身、海外で英語に苦労した経験も多く、以前プログラミングの重要性を記事にしたことがあるので少し矛盾しているように思われる方も多いかもしれませんが、学校教育では基礎学力をつけることに集中し、部活動や習い事をする感覚で英語やプログラミングを学ぶべきだというのが私の持論です。

実際、今の時代に何が一番大事なのかは誰にも分かりません。ただ一対一のコミュニケーションがあって、SNSがあるように、国語や数学などの基本を抜きにして、本当の国際人や世界を驚かせるサービスを作るプログラマーにはなれないのではないでしょうか。

楽器やスポーツも同じことですが、本当の一流プレイヤーになれるのは基礎を徹底的に身につけた人だけなのですから。

まとめ(歴史の終わりを回避せよ)


「歴史の終わり」vs 「文明の衝突」

冷戦後、国際政治学者のフランシス・フクヤマ氏が「歴史の終わり?」という論文を書き、国際社会において民主主義と自由経済が最終的に勝利し、これ以上の社会制度の発展が終結することで、社会の自由と平和が無制限に維持させるという仮説を発表しました。

つまり、欧米発の民主主義と自由経済が人類の最終形態であり、これ以上発展することがないため、人類の歴史はもうこれ以上作られないという意味です。


民主主義と自由経済が人類の最終形態なのか?

果たして本当にそうでしょうか。現在中東で起きているナショナリズムは自国の文明を主張するものですし、2001年に起きた同時多発テロはイスラム教徒にとって神聖な場所、サウジアラビアにアメリカ軍が滞在していることが原因でした。

「歴史の終わり?」に対抗する仮説としてサミュエル・P・ハンティントン氏の「文明の衝突」という仮説があります。この仮説は人類の歴史は終わらないと主張するもので、21世紀の国際社会は自国の伝統や文化を基本としたアイデンティティの戦いになるだろうと予見しています。


ハンティントン氏:21世紀は「文明の衝突」

約400年ほど世界を支配してきた欧米文化はようやく衰退し始めました。21世紀は各国のアイデンティティが密接に混ざり合う、グローバル社会の中のローカリズムな時代になります。

英語やプログラミングなど新しい時代に乗っ取った生き方だけを重視しても、日本人は世界で尊敬されません。「文明の衝突」を生き抜くガキはグローバルなコンセプトと一緒に日本人としてのアイデンティティをしっかり持ち、自国の経済だけではなく、人類を促進させるような普遍的価値を生み続けることです。

どんなに経済的に豊かになっても、「日の丸」を見て、涙を流せなくなってしまっては、新しい時代に敗北しているのと同じことなのですから。

今回は藤原正彦さんの「若き数学者のアメリカ」「遥かなるケンブリッジ」そして、「国家の品格」という本を参考にしました。海外生活が長い方は、「そう、そう」と頷くところが多いと思いますのでぜひ読んでみて下さい。

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