夕張市では、2007年に財政破綻すると、171床の市立総合病院が、19床になってしまい、突然、市内の病床数が約1/10に減ってしまいました。
当然、適切な医療が受け入れらなくなることで、病人が増えることが予想されましたが、実際は、それとは逆のことが起こったのです。
様々な病気にかかる人の数は、破綻して病床数が減り、CTもMRIも無くなった後の方が、明らかに少なくなったのだと言います。
イスラエルでは、1973年に病院の多くがストライキを起こし、診断される患者の数が、1日65,000人から7000人に減らされてしまいました。すると、実に奇妙な現象が起こります。
エルサレム埋葬協会のデータによれば、病院がストライキを起こしている間、死亡率は半減し、1ヶ月後にストライキが終わると、死亡率は元に戻ったのだそうです。
↑病院が減ったら、病人が明らかに減った。
夕張市では、総合病院による専門医療が無くなったことで、患者の心身を総合的に診て、初期段階での健康状態の把握するプライマリーケアに移行せざるを得ませんでした。
病気になってから行く総合病院は、「人」ではなく「病気」を診るのに対し、プライマリーケアでは、その人と継続的なパートナーシップを築き、家族及び地域という枠組みで責任を持って診断をしていく。
健康の悩みにしても、継続的な信頼関係があるからこそ、話せることも多いのだろう。最近では、医者と患者の信頼関係が崩れ、医療訴訟などが増えてきたことで、よく分からない書類にやたらサインなどをさせられる。
ビジネスにしても、契約上の「甲」と「乙」の関係以上の信頼関係を作れなければ、成功しないのと同じように、健康も病院に行って、「人」ではなく「病気」を診ているようでは、長期的な健康状態は、一向に良くならないのだろう。
↑信頼関係があるからこそ、話せることも多い。
地域で人を守ったり、育てたりするという概念が無くなって、物事が会社単位、個人単位で効率的に進められるようになったことで、経済的に潤い、余計なしがらみが無くなったのかもしれませんが、それによって総合的な幸福度が上がったのかと言われれば、かなり怪しい。
老後2000万円問題の内訳はよく分かりませんが、地域の人たちや家族としっかり繋がっていることは、少なくても1000万円ぐらいの価値はあるのだろう。
近年では、医療が崩壊するだの騒がれていますが、むしろ、病院を減らしたほうが、人間は健康になっていくのかもしれない。
1974年、フランスのブルターニュ半島のテレビ塔が過激派によって破壊され、その後、約一年間にわたって、この地方ではテレビが見られなくなってしまいました。
すると、人々は本を読むようになり、それによって村の人々のコミュニケーションが増え、人々のつながりが親密になったのだと言いますが、便利なものや楽なものは、生きる力を後退させていく。
皮肉ながら、破綻した夕張市こそが、最先端の医療体制を実現しているのかもしれない。
参考書籍
森田 洋之、おがたちえ『破綻からの奇蹟: 〜いま夕張市民から学ぶこと〜 これからの日本の医療・介護の話をしようシリーズ』