April 25, 2019
「何かあったら責任取れるの?」は、文化や遊びの可能性を一瞬で消してしまう魔法の言葉。

Photo by LC.inc

ブキッビンタン、マレーシアで言う渋谷スクランブル交差点のような場所なのだろう。ここでは、街、アーティスト、そして、市民が上手にインタラクションすることで、居心地のいい空間を作り出されている。

日本はどんどん近代的になるにつれて、「路上で楽器を演奏してはいけない」とか「公園で花火をしてはいけない」などと、色々なものをどんどん禁止していっています。








↑街とアーティストと市民が一つになるクアラルンプールとそれを拒む渋谷。(LC.inc)

バブルの頃のように、国民の有り余る力を抑えるという意味で、禁止事項を増やすのであればまだ理解できるでしょう。

しかし、活気がないと言われている現代においては、むしろ逆に禁止事項を徐々に解除していく必要があるはずなのに、今はそれが逆に向かってしまっている。

ニューヨーク、ロンドン、そして、ベルリンなどでも、路上演奏という文化的な土壌があってこそ、ストリート・カルチャーが成り立つのだろうし、5年続ければ風物詩、15年〜20年続けばそれが一つの文化になり、新しい付加価値を生み出していきます。




↑よく分からないものでも、5年続ければ風物詩、15年続ければ文化になる。(LC.inc)

中国では、Airbnbなど新しいものが出てくると政府はそれを一旦見守りますが、日本では、「何かあったら責任を取れるのか?」と、ドローン、セグウェイ、そして、Airbnbなど、新しく世の中に出てくる「よく分からないもの」は一旦すべて禁止してしまうのです。

だから、「新しいイノベーションを起こせ!」と笛を吹きながらも、実際は、毎年、毎年、新しい法律が作られて「できないこと」がどんどん増えていくことになります。

ジェフ・ベゾスが「野球はどれだけボールを確実に捉えていようと一回に最大4点しか入れることができないが、ビジネスの場合は1000点入れるチャンスが時々やってくる」と述べているように、ある程度自由に活動できる地盤がないと、1000点入れるチャンスを見す見す逃してしまうことになるでしょう。




↑よく分からないものを禁止してしまうことで、1000点のチャンスを逃してしまう。(LC.inc)

また、子供の遊び場にしても、「何かあったら責任取れるのか?」、「怪我したらどうするの?」という魔法の言葉で、大人が様々なことを禁止していくため、最近では、どんどん子供の遊び場が無くなってきているのです。

日本催眠心理研究所の米倉 一哉さんは、進撃の巨人などの漫画がヒットする背景には、世の中が清潔過ぎる社会になって、「グロいこと」がどんどん消えていったため、子供たちが心の中に持っている心理的な欲求を漫画の中で満たしているのだと言います。

確かに今では、大人がちょっとした事でも大げさに騒ぐため、身体中ドロ塗れになることもなければ、喧嘩をしてかすり傷を負うこともあまりないでしょうから、子供たちが「一度は体験してみたい」と思っている精神的な欲求を漫画の中で、満たしているというのは確かにその通りなのかもしれません。

これは、どんどん物事が禁止されていく日本で、ワールドカップで一勝しただけで、バカ騒ぎする若者たちも同じような心理状況なのでしょう。












↑禁止事項が増えれば、増えるほど、若者の欲求は溜まっていく。(LC.inc)

日本の若者には、活力がないと言われます。その一つの要因は、若者がワクワクするような「よく分からないもの」はとりあえず禁止、何か都合の悪いことがおきて、面倒くさいことになりそうなことはとりあえず禁止しようと考える、未来を理解できない大人のおじさんたちにあるのかもしれません。

文化や経済の価値を生み出すのが若者の仕事であり、何かあったら責任を取るのが大人の仕事なのではないでしょうか。

参考書籍

西川正「あそびの生まれる場所—『お客様時代』の公共マネジメント」ころから株式会社、2017年 鈴木 信行「宝くじで1億円当たった人の末路」日経BP社、2017年 デービッド・アトキンソン「日本再生は、生産性向上しかない!」飛鳥新社、2017年

/BAN