June 19, 2019
バックパッカーやワーホリに行く自称「自由人」こそが、世の中で一番「不自由」な人達。

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外国に行って、少し街をウロウロしてみると、その国に「自由」がどれだけあるのかが感覚的に分かることがあります。

中国やロシアでは、様々なところから監視されているのはもちろんのこと、毎回地下鉄に入るたびに持ち物を検査される。

自由の国の代表格であったアメリカでも、2001年のテロとの戦い以降、学校や施設などのいたるところに監視カメラが設置され、テロ対策という名目でアメリカ国内の逮捕されるジャーナリストの数は過去最高を記録しているのだと言います。(1)










↑21世紀に入ってから誰かに監視される度合いが一気に増えた。

また、私たちはグーグルやフェイスブックを使うたびに様々なプライベート・データを企業に提供しています。

それに加えて、今後はスマートカーによって、運転スピードやシートベルトをしているかしていないかなどが監視され、リビングに置いたスマートTVやIoTによって散りばめられる500億個のチップ、そして、腕に巻いているウェアラブルの機器からもプライベートな情報をどんどん収集されることで、常に誰かの監視化に置かれる割合がどんどん高くなっていくのです。

日本でも2011年には11位であった報道の自由度ランキングは、2019年までに67位にまで低下してしました。




↑無料、便利、そして、効率のために、僕たちは「自由」をどんどん失い始めている。

さらには、マイナンバーやTポイントカードから様々なデータが取られ、ジャーナリストの斎藤貴男さんは報道に対して厳しい質問することで評判だった古舘伊知郎や国谷裕子などのニュースキャスターが政府から敵対的な雰囲気や批判を恐れて、次々と長期間保持していたポディションを離れていったと指摘しています。(2)

私たちはよく物理的な自由は会社や国に多少奪われたとしても、「自分がどう生きるか」という思考の自由は常に持ち合わせていると言うかもしれません。

インターネットを通じて、自由に情報を手に入れ、発信できる自由が日本にはしっかり存在していると。

確かに中国では、「民主主義」、「法治」、「習近平」、「自由」などとネット上に打ち込むだけで、通信記録が残り、公安にマークされてしまうことはよく知られている事実です。

しかし、これは中国だけに限りません。日本を含めた世界中で人々の行動がすべて監視され、怒らなければいけないところできちんと怒れない、ツイッターに自分の思っていることを書こうと思っても何となく書くのが怖いなど、自分の頭で物事を考えさせないようにする「意識的な圧力」が世の中のいたるところで働き始めています。










↑怒らなければいけない時に、しっかりと怒れない「意識的な圧力」がどんどん世の中に浸透し始めている。

2017年にドナルド・トランプが当選すると、監視社会の近未来を描いたジョージ・オーウェルの名作「1984年」がアマゾンのベストセラー1位になりました。

「1984年」の世界の中では、2+2の答えが、支配者の意向によって3にも4にもなってしまいます。

大衆は小さな嘘には引っかからなかったとしても、大きな嘘には簡単に騙されると言いますが、知らないところで、2+2=4と言える思考の自由が年々少しずつ奪われていることに気づかなければなりません。

「オランダ最大の観光資源は”自由”」



自由の国アメリカにどんどん規制が増えることで、世界一自由な国の称号は、売春、大麻、そして、自殺までもが合法な国オランダにシフトしました。

世界中の面白い場所を訪れながら、情報を発信しているクリエイターの高城剛さんは、「オランダの観光資源は、風車や運河ではない。『自由』だ。」と断言しています。(3)

オランダのアムステルダムと言えば、ナチスに物理的な自由を奪われながらも、小さな隠れ家で日記を書き続けることで、思考の自由だけは失わなかった10代の少女、アンネ・フランクが有名でしょう。


















↑オランダ最大の観光資源は「自由」

よく日本の自殺率が高い理由として、「未来に希望が持てないから自殺率が高いのだ」という話がありますが、実際、統計的に見れば、自殺率が一番低くなるのは、未来が最も不安定になる戦争中なのです。

岡本太郎は、自由の力の意味を芸術家と子供の絵を例に出して説明しています。

子供の絵は、確かに自由で伸び伸びしていて、魅力的に見えるけど、何か自分の存在をゆさぶり動かすほどのパワーはありません。その理由は、子供の自由が所詮「与えられた、許された範囲の中の自由」で絵を描いているだけのことであって、苦しみを経て勝ち取った自由ではないからだと、岡本太郎は言います。

ワーホリ、バックパッカー、そして、自己啓発マニアの人達の「自由」が薄っぺらく聞こえ、なぜかまったく心に響かないのは、「不自由」を経験しようとせず、ただ「自由」に逃げているだけだからだろう。

むしろ、そうやってズルをしようとした人が一番自由から遠ざかっていく。

現在のインターネットは、様々な表現の自由を与える活気的なツールだと思われがちです。

しかし、実際は多少の自由を手に入れたつもりになっているだけで、グーグルやフェイスブックがどんどんプライベートな情報を吸い上げ、自由を制限する監視システムを構築し始めていることをしっかりと意識する必要があるでしょう。
















↑ただ与えられた自由と自ら勝ち取った自由では、価値が全然違う。

もしかすると、透明性や開放性を謳歌できているのは、シリコンバレーの企業で働くほんの一部の人達だけで、実際はシリコンバレーの企業が透明性や開放性を叫びながら、世界の自由をどんどん奪っていっているのかもしれません。

たまに、旅行などで日本を抜け出しても、なぜかあまり自由になった気がしないのは、物理的に身体は自由になったつもりでも、常にインターネットという見えない糸に繋がれて、監視され続けているからなのでしょう。

インターネットの基本的なビジネスモデルは、世界規模の監視社会によって成り立っており、グーグルの共同創業者であるラリー・ペイジは2013年に、いま起こっていることは実現可能なことの1%程度だろうと述べています。

いま、アメリカと中国の間で起きている戦いは、貿易戦争や知的財産権などの戦いではなく、自由国家と統制国家の間で起こる価値観の違いによる戦いだ。










↑いまアメリカと中国との間で起こっている戦いは、貿易戦争ではなく、自由社会VS監視社会の戦争。

よくも悪くも、バックパッカーが謳歌する自己満的な自由ではなく、アンネフランクのように自由を奪おうとする権力に全力で立ち向かおうとする時こそ、岡本太郎の言う本物の芸術が生まれてくるのだろう。

当たり前ですが、Gmail、Facebook、そして、Twitterなど、世の中に無料なものなど絶対に存在しないでしょうし、むしろ、無料なものほど、怖いものはないと言い換えた方がいいのかもしれません。

僕たちがインターネット上の様々なサービスを無料で使うことの代償として売り渡しているものが、自由そのものなのでしょう。








↑自由を奪おうとする権力に立ち向かおうとする時、本物の芸術が生まれてくる。

ジョージ・オーウェルが小説「1984」の中で描いたディストピアは、巨大な権力によって強制的に監視される社会でしたが、現代の世の中は、インターネット上にある様々なサービスを使い自身の情報を「自ら」提供することで、「自ら」監視される社会に足を踏み込んで行っていることになります。

「自由」という感じは、自らにようと書きますが、圧倒的自由な時代に生まれ、その自由が少しずつ失われている今こそ、本当の自由について再度しっかり考えてみる時なのかもしれません。

参考書籍

◆1.堤 未果「アメリカから<自由>が消える」扶桑社、2017年 ◆2.斎藤 貴男「国民のしつけ方」集英社インターナショナル、2017年 ◆3.高城剛「多動日記 健康と平和 欧州編」Amazon Services International

その他の参考書籍

◆若林 正恭「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」KADOKAWA、2017年 ◆梶谷 真司「考えるとはどういうことか 0歳から100歳までの哲学入門」幻冬舎、2018年  ◆深田 萌絵「日本のIT産業が中国に盗まれている」ワック、2019年 ◆酒井穣「自己啓発をやめて哲学をはじめよう」フォレスト出版、2019年 ◆篠田 桃紅「百歳の力」集英社、2014年 ◆泉谷 閑示「仕事なんか生きがいにするな 生きる意味を再び考える」幻冬舎、2017年 ◆三浦 瑠麗「『トランプ時代』の新世界秩序」潮出版社、2017年 ◆篠田桃紅「一〇三歳になってわかったこと 人生は一人でも面白い」幻冬舎、2017年 ◆宮崎 正弘「AI監視社会・中国の恐怖」PHP研究所、2018年  ◆宇多田 ヒカル「点―ten―」EMI Music Japan Inc./U3music Inc、2009年 ◆松尾 匡「自由のジレンマを解く」PHP研究所、2016年 アンドリュー キーン「インターネットは自由を奪う――〈無料〉という落とし穴」早川書房、2017年 ◆ジョージ・ギルダー「グーグルが消える日 Life after Google」SBクリエイティブ、2019年

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