January 18, 2014
ジョブズが毎週通い続けた、日本人が経営する寿司屋。

少し前にLifehack Japanでも記事が書かれていますが、ジョブズが亡くなって二年、ジョブズのことはいろいろな書籍や特集で語り尽くされた感があります。

「プレゼン能力」
「21世紀最高のイノベーター」
「変わり者」
「お決まりの服装」

などなど、生前のジョブズを物語るストーリーは後を尽きません。ウォルター・アイザックソン氏が書いたジョブズの伝記は800ページを超えるボリュームで、ジョブズの様々なことが語られていますが、やはりプロが書いた伝記なので、ファンが本当に知りたいジョブズのプライベート内容はそれほど含まれていません。


↑800ページ近くあるジョブズの伝記。(Antti Kyllönen by Flickr)

昨年の12月、シリコンバレーで25年間寿司屋を営み、ジョブズが常連客として通い詰めていた寿司屋のオーナーさんの本、「ジョブズの料理人」が発売されました。僕もジョブズの本はかなり読みましたが、その中でもかなり面白い本です。30歳前後でアップル社を追いやられた時のジョブズの様子やiPhoneの発表を終えてリラックスした様子など、世界的な有名人であってもやはり普通の人間なんだなということを改めて感じます。

ジョブズは近年、日本の家電メーカーが作るPCを「ゴミだ!」と批判しながらも、禅を教えてた乙川弘文さん、ソニー創業者でジョブズは子供のように可愛がった盛田昭夫さん、そして寿司職人の佐久間俊雄さん(トシさん)など多くの日本人から影響を受けています。


↑寿司、禅、そして人、ジョブズは日本文化から多くの影響を受けた。

ある日、いつものようにお気に入りのカウンターの席で寿司を食べていると、ジョブズがトシさんにこう訊ねたそうです。

「最近、商売の調子はどう?」

「いろいろと頭が痛いことが多くて。従業員のこととか・・・」とこぼすと、ジョブズも「そう、私もだよ」と一緒にため息をついてくれたそうです。時価総額約50兆円、21世紀最高の経営者と言われた人物でも、悩みが多い時の表情は、どこにでもいる中小企業の経営者と変わらなかったと、本の中で語っています。

もしかすると、僕たち日本人が学ぶことはジョブズのクレイジーさや、プレゼンテーションのスキルではなく、日本人としてジョブズの活躍をずっと近くで見ていた佐久間俊雄さん目線のジョブズなのかもしれません。

世界一の経営者、それでも一切特別扱いはせず

トシさんの寿司屋には下記のような注意書きがエントランスに貼ってあります。

Q:「If Steve Jobs came in without reservations, does he have to wait?」(ジョブズが予約なしで店に来た場合、彼は順番を待たなければなりませんか?)

A:「Yes, for the first few times he came in without reservations, he signed in on the waiting list and waited about 30minutes, Now he calls ahead to make reservations. Ask him」(もちろんです。彼が最初の数回予約なしで来た時、30分以上待ってもらいました。今ではしっかりと予約を取ってから来ますが。ジョブズ本人に聞いてみて下さい。)


↑時価総額50兆円のCEOでも、普通に並んで寿司を買う。

トシさんによれば、ジョブズほどのCEOやエグゼクティブには当然、会社に秘書がおり、日常生活で様々な仕事を任せているとのことですが、ジョブズはほとんど自分で電話やメールを送って持ち帰りの寿司を注文し、破れたジーンズ姿で取りに来るのが日常だったという。

さらに、夫人の誕生日パーティーも自分で企画し、細部まで目配りし家族を喜ばそうと必死だったそうです。そういった何でも自分でやらないと気が済まない気質は仕事でも同じで、トシさんはジョブズの下で働く人は大変だろうなと同情したそうですが、最終的にそのジョブズのその性格がアップルを時価総額世界一にまでもっていきます。


↑仕事もプライベートも一切手を抜かなかったジョブズ。

ジョブズはトシさんの寿司屋に来店すると、必ず「一番」のカウンター席に座り、店内をぐるりと見回すのが大好きだったと言います。その理由を尋ねるとジョブズは答えました。

「ここからほかの来店客の様子を見ていると、景気がどうなっているのかよく分かる」

実際、ウォールストリート・ジャーナルがトシさんの寿司屋はシリコンバレーの景気のバロメーターといった内容の記事を連載したことがあるそうですが、ジョブズはずっと前からこのことに気づいていたようです。

ジョブズとラリー、そして和食


↑日本とジョブズの接点は意外なところにあった。

ジョブズの和食好きは世間でも有名ですが、ジョブズに和食の素晴らしさを教えたのは、世界的なソフトウェア会社のCEOとして知られるラリー・エリソン氏であるという噂があります。。ラリー氏は自宅の庭をすべて日本風にするほどの親日家で、京都にも自宅を構えるほど日本通として知られていますが、ジョブズとラリーは頻繁にトシさんの寿司屋を訪れていたそうです。

トシさんは次のように話しています。

「2人で顔を寄せ合ってひそひそ話していたかと思えば、わっと大きな笑い声が起こる。”マイクロソフト”という言葉が聞こえてきたのだが、どうもマイクロソフトを褒めている雰囲気ではない。」

「2人は仕事の話しもしていたようだ。あるときは店の紙ナプキンに何かを一生懸命、書き込んでいた。2人のテーブルに残されていた紙ナプキンには数字やら矢印やらがたくさん書いてあった。(もしかしたら大事なものかもしれない)と思ってしばらく保管しておいたのだが、いつの間にどこかへいってしまった。」


↑親日家として知られるオラクルのラリーさん。

シリコンバレーではオフィス意外の場所で新しいアイデアが生まれることが多く、よく紙ナプキンにメモをするため、博物館などにも走り書きの紙ナプキンが「史料」が展示されます。

晩年、ジョブズとラリーは最後の最後まで親友だったと言われています。1980年代後半から90年代前半、ジョブズはアップルを追われ、半導体を中心とするシリコンバレーの企業も、日本勢に攻勢に押され、メディアの中心から遠ざかります。このとき、ジョブズとラリーが現在の世界を予想していたのかは分かりませんが、トシさんはこの頃のジョブズとラリーの寿司屋のでのヒソヒソ話を懐かしそうに本に書いています。

まとめ

シリコンバレーで26年で寿司屋を経営し、シリコンバレーの成長ともに信頼を得てきたトシさんの寿司屋。同じ日本人として凄く誇らしいです。IT産業の中心に活躍したジョブズとラリーが同じ和食好きだったのは何か共通点だったのかもしれません。アメリカでは今でこそ、食べ物に気を使う人が増えていますが、僕がアメリカに住んでいた2000年代後半でさえ、食べ物にここまで気を使う人はあまりいなかったように思います。ジョブズはベジタリアンだった頃も含め、寿司屋にも頻繁に通い、健康にはかなり気を使っていたようですが、あまりにも若い年齢で亡くなってしまいます。


↑和の和みが、シリコンバレーのスピードの上手く調和する。

和食や寿司を食べ続けることが、ジョブズやラリーにどのようなインスピレーションを与えたかは分かりませんが、僕はシリコンバレーのもの凄く早い動きの中で働く人の心が「和」の力によって癒やされたのではないかと思います。冒頭でも述べましたが、ジョブズは禅を極め、ラリーは自宅の庭をすべて日本式の庭にしています。

IT業界では常にスピードを意識して、もの凄いスピードで動き続けなければなりませんが、その過激な仕事環境の中で「和」を取り入れ、定期的にリラックスすることが、もしかするとアップルやオラクルの成長に大きく関係していたのかもしれません。

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