August 8, 2017
漫画に描かれたことが、5年後のビジネスになる「イノベーターは漫画を読み、サラリーマンはビジネス書を読む。」

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ひと昔前までは、「マンガやアニメなんかを見ていると、ろくな大人になれないぞ!」というのが、親が子供に対して言う決まり文句でした。戦後当時、マンガは子供に悪影響を与えるとPTAがグラウンドにマンガ本を積んで、燃やすなんてことも日常茶飯事であり、当時の子供たちは大人に隠れて漫画を読まなければならなかっと言います。

しかし、現在では「スラムダンクは現代の軍記物」、「モンキー・D・ルフィの『D』はドラッカーだった」など言われるように、マンガ家が描く「if(もし◯◯だったら)」という想像の世界で、ストーリーの表現力があまりにも強力でリアリティーがあるため、マンガが読者の世の中の見方を大きく変化させ、あくまで想像の世界であったマンガが、現実の世界でも大きな影響を持つようになってきています。


↑マンガのリアリティーある世界は読者の考え方を大きく変化させる(image:L&C)

中田英寿選手がキャプテン翼を見てサッカーを始め、田臥勇太選手がスラムダングを読んでNBAを目指し、ドラえもんを見て育った科学者たちが現在最先端のロボットをつくっていますが、近い将来、間違いなく宇宙兄弟を読んで、宇宙飛行士になったという人たちが出てくることでしょう。

新しいビジネスアイデアを次々と生み出し続ける堀江貴文さんはある本の中で次のように述べています。(1)

「たとえ今はマンガの中の遊びでも、その中のいくつ かは未来の仕事になり、ビジネスチャンスになる。そうした知識は、すぐれた作家の生み出す想像的知識に触れてみなければ身につかない。 私自身、いろんな本を発表したりメルマガで発信している物事の中で、かつてマンガに描かれていたことが実際に未来をつくっ ていく様子を何度も見てきた。」

「遊びとはつまり、想像の中の知識を身につけるための頭の運動であり冒険なのだ。 そして今、遊びと仕事の境界は失われつつある。マンガはそのことを教えてくれる格好のメディアなのだ。」


↑将来、「宇宙兄弟」を読んだ宇宙飛行士が必ず現れるだろう

また、最近では、地方が様々なアニメやマンガの舞台として使われることで、地域の人から見たら何の変哲もない神社や建物に、新たな文化的価値がつけられる「コンテンツ・ツーリズム」という考え方もあります。

最近では、「君の名は。」、少し前だとアニメ「らき☆すた」に登場する鷹宮神社のモデルとなった埼玉県の鷲宮神社には多くのファンが押しかけ、2007年には7万人、2008年には30万人、2009年には42万人、そして、2010年には45万人とどんどん増えていきました。


↑非現実のマンガやアニメの世界が、衰退しつつある地域に新たな付加価値を生み出す

そして、興味深いことにドラマや映画の舞台になった場所は一時的に観光客が増えますが、放映期間が終わると同時に、急速に観光客が来なくなってしまうのに対して、アニメは放映期間が終了しても、比較的長くファンが訪れ続けるのだと言います。

その理由は、実写だと風景は画面の中と全く同じで特に新鮮味がないのに対して、アニメの舞台となった場所は画面の中の風景と微妙に違うため、訪れるたびに新たな想像力が掻き立てられることで、アニメの原作者が創り出した以上の新たな創造性を私たちに与えてくれるからだと言えるでしょう。(2)


↑アニメの舞台となった場所は、作品の中の風景とは微妙に違うため、訪れるたびに新たな想像力が掻き立てられる。(Pic L&C)

現在、テレビや新聞、そしてWeb上に存在する様々なコンテンツまで、真実を伝えるはずのものが真実を伝えずウソをつき始めています。ところが、アニメやマンガは最初から架空のウソである話が前提で、その全部ウソの話の中にちょっとだけちらっと真実や大切なことが盛り込まれることが、多くの人の心を動かしていくのでしょう。

ドラえもんの原作者である藤子・F・不二雄さんは、みんな「ウソの話が大好き」なのだとして、あるエッセイの中で次のように述べていました。(3)

「『ウソ話』とは現実にない、作者の空想によって作り出された話、ということだ。そのウソも大きいほどいい。壮大なウソをたくみに聞かされるほど楽しいことはない。そしてこれは漫画の持つ面白さの、ひとつの重要な要素に通じるのではないか。人間の想像力は果てしない。」

「僕は自分の想像力=イマジネーションを広げた漫画を描き、そしてそれがまた読者の想像力をかきたてる。たとえば『ドラえもん』がそういった想像力の連鎖をつなぐ橋わたしをするのがサイコーだと思っている。」


↑子供の頃、マンガでしっかりとした未来のイメージを持ち、それを作り出していく本当の力を人間は持っている (Pic:L&C)

そういった意味で、数十年前はマンガやアニメなどはただの娯楽で何の生産性もないものと考えられていたのかもしれません。しかし、現代のように「まだ世の中にないものを生み出せ!!」と毎日のように言われる時代に、とてもではないですが、自身の想像力だけでは新しいビジネスアイデアを生み出すことはできないでしょう。

イーロン・マスク、ビル・ゲイツ、マーク・ザッカーバーグからジェフ・ベゾスまで、常に新しいものを生み出し続ける人たちは、子供の頃にSF小説をとにかくたくさん読んでいたという共通点があるようです。

彼らの「そんな考え、どこで思いつくの?」というアイデアの起源がSF小説なのだとしたら、SF小説なんかよりも、もっと身近に存在する日本のマンガやアニメは生産性よりも、創造性やイメージが大事とされる21世紀の時代に、とてつもなく有益なビジネス書になってくることは間違いなさそうです。

ワンピースの尾田栄一郎さんが何十年の連載を休んだのはたった一ヶ月だけ。


(image:L&C)

日本では全印刷物の3分の1がマンガであり、海外のコミックはカラーで比較的高い値段で販売されているのに対して、日本においてのマンガはもう書かれていないジャンルがないと言われるぐらい様々な分野で描かれ、かつ読み捨て型の薄利多売の娯楽商品として世の中に提供されています。(4)

最近では、薄利多売と聞くとあまり良い印象を受けませんが、創作の分野では、天才は常に多作だと言われ、ピカソは生涯に5万点以上の作品を書き(一日二点ペース)、アイシュタインは何百本もの論文を発表、リチャード・ブランソンは400個以上の会社を立ち上げ、そしてエジソンは1092個の特許をとって数え切れないほどの実験を行うなど、とにかく最初のうちは作れば作るほど作品の質が上がり、圧倒的な「量」が次第に「質」に変わっていくという過程を多くのマンガ家自身が経験していることでしょう。


↑とにかく気軽に読めて薄利多売で、ものすごいスピードで消費される日本独特の文化がマンガを支えている (image L&C)

例えば、スラムダングやバガボンドなどで知られ、絵の質が今やマンガの領域を超えて、もはや芸術とまで呼ばれている井上雄彦さんも最初は絵が下手だったそうですが、毎週、毎週、締め切りに追われ、とにかく描き続けたことで作品の質が上がっていったと述べています。(5)

そういった意味で、原作者自身の井上雄彦さんと同じくスラムダンク、バガボンド、そしてリアルの主人公に唯一共通点があるとしたら、「もの凄い短期間の間に、普通ではありえないほどの変化をすることを求められた若者たちの物語」だと言うことができるかもしれません。(6)

つまり、こちらの井上雄彦さんが出演された「プロフェッショナル」の番組内でも見てとれるように、次の締め切りまで、自分が成長して価値のあるものを生み出さなければ、作品の中でキャラクターたちが成長することはなく、多くのマンガ家は本当に厳しい世界の中で、自分の成長とキャラクターを同型化させることで作品の質を上げていっているのでしょう。


↑この3つの物語に共通することは、「もの凄い短期間の間に、普通ではありえないほどの変化」を求められたということ (image L&C)

井上雄彦さんはスラムダングを連載し始めた頃、ジャンプは人気が出なかったら、最初の10週で終わってしまうという可能性もあったため、当初、気が進まなかったラブコメっぽい恋愛要素や柔道部を出したりして、とにかく生き残るために必死だったと言います。(7)

「血も涙もないですよ。その辺のファミレスに、『ちょっと来て』と呼ばれて、『これ何号で終わりだから』と言われる。」

何でも、「締め切りに苦しむ作家像」とは日本特有のもので、週刊誌とか月刊誌などに自分の作品を連載する時、マンガ家と出版社は書面上の契約を交わさないため、言ってしまえば、マンガ家は原稿を期限通りに納品しなくても罰せられることはないそうです。(8)


↑日本のマンガ家は、特に契約書を交わさないため、作品の納品義務はない

実際、単行本となって発売される時に始めて契約書が結ばれるそうですが、多くの場合、締め切りに間に合わなければ、次は使われないという厳しい現実があって、マンガ家は10回で打ち切られるかもしれないし、10年続くかもしれないという、一種の「トランス状態」で莫大な仕事を日々こなしているとも言えます。

集英社の方の話では、1997年から連載されているワンピースの著者尾田栄一郎さんは、もう何十年もただひたすら描き続けており、今までで休んだのはたった一ヶ月だけだったそうです。(9)


↑走り続けろ。尾田栄一郎さんが今まで休んだのは一ヶ月だけ (image L&C)

つまり、マンガ家は次の締め切りまでという短い期間で自身を成長させ、その自分の成長をマンガというコンテンツで表現していきますが、そのマンガが薄利多売で大量に消費される文化があるからこそ、日本のマンガの質は欧米などと比べても圧倒的に高いのでしょう。

日本のマンガのクオリティーを見ると欧米人が「スパイダーマン」や「バッドマン」など、同じようなストーリーで、同じキャラクターを何十年と使って喜んでいるのがちょっと信じられなくなってしまいます。

宮崎駿は1日1食で5感を最大限に研ぎ澄まし、本当の飛行機よりも、リアルな飛行機を描いてしまう。



日本で、これだけ一般大衆に受け入れてられているマンガはまさに時代そのものを間接的に映し出しているメディアだと言えるでしょう。

例えば、ワンピースがここまで支持されるのは、読者の何か欠落しているものを満たしてあげているからであり、マンガの具材になってヒットするかどうかというのは、世の中の人たちが本当は何に対して憧れを持っているかということを正直に写し出してくれるものなのかもしれません。(10)

もし、外資系でどんどん稼いで裕福な暮らしをしたり、自分は自由人だと言いながらも、一日中パソコンの前にへばりついて、アフィリエイトやら、ビッドコインなどの取引ばかりに夢中になっている人が、本当に世の中的にカッコいいと思われているのであれば、「ゴールドマンサックス物語」とか、「ノマドワーカー物語」というマンガが世の中に出てきてヒットしてもいいはずですが、そんなマンガがヒットする傾向は一向にありません。


↑マンガの具材にならないということは、実は誰も大してヒルズ族なんかに憧れていないということ (image:L&C)

スタジオジブリの代表取締役である鈴木敏夫さんによれば、日本のアニメやマンガは時間や空間を歪める力を持っているのだそうです。

実際に飛んでいる飛行機よりも宮崎駿監督が描く飛行機の方がより鮮明な印象を与えるのは、宮崎駿監督は人間の脳が一番認識しやすい純粋な飛行機をそのまま描いているのです。対して、実写の飛行機は他にも余分なものがたくさん写り込んでしまうため、脳の認識するプロセスが複数に分散されてしまいます。(11)

したがって、人間の目や耳では迫力あるような飛行機として認識したとしても、脳は普通の飛行機としてしか認識していないので、大して印象に残らないのではないでしょうか。


↑アニメやマンガは時間や空間を歪め、脳が一番認識しやすいイメージを作り出す

また、ドワンゴの会長を務めながらスタジオジブリに入社した川上量生さんによれば、宮崎監督が飛行機を大きく描くのも、特徴をただ大げさに膨張したいのではなく、飛行機が大好きな宮崎監督にとっては、飛行機はそれぐらい大きいものであり、作り手の主観によって、キャラクターやモノの大きさが伸び縮みし、それを観客に違和感なく伝える表現力は日本のアニメやマンガの大きな特徴なのだと言います。

宮崎監督は自身がつくるコンテンツについて次のように述べています。(12)

「あの、ディズニーの作品で一番嫌なのは、僕は入口と出口が同じだと思うんですよね。なん か『ああ、楽しかったな』って出 てくるんですよ。入口と同じように出口も敷居が低くて、同じように間口が広いんですよ。」

「エンターテインメントっていうのは、観ているうちになんかいつの間にかこう壁が狭くなっててね、立ち止まっ て『うーん』って考えてね、『そうか、俺はこれでは駄目だ』 とかね、そういうふうなのが理想だと思うんです。なんかこう…… 入口の間口が広くて、敷居も低いんだけど、入っていっ たら出口がちょっと高くなっ てたっていう。壮絶に高くなることは無理ですよ、それは。」


↑本当のエンターテイメントとはただ楽しいだけではなくて、自分の人生と照らし合わせ、何かを考えさせるものでなければならない (image L&C)

宮崎監督は外食などには一切せず、25年間、ご飯、ソーセージ、そして卵焼きなどが入ったお弁当箱を持ってきて、昼になると箸でそれを「こっちが昼の分、こっちが夜の分」と半分にわけて、基本的にそれしか食べないそうです。

もしかすると、宮崎監督のようにこれ以上下げられないギリギリの食生活を維持することで、五感が敏感になり、より脳が快感の得やすい飛行機を表現できるようになるのかもしれませんが、その他にも、ジブリの作品では普段自分が何気なく食べているご飯がものすごく美味しそうに表現されているなど、当たり前のことを「これでもか!」というくらに誇張して表現することで、普段忘れてかけているより大切な主観的な概念を間接的に伝えようとするのが、日本アニメやマンガの凄いところなのかもしれません。

一番必要な言葉と動きをマンガ家が描いてあげることで、「キャラクターがコマの中で勝手に動き出す」



井上雄彦さんはバガボンドで人を殺すところばかりを描いたことで、生きることを描きたくなったと述べ、ロボットをつくっている人たちはロボットをつくる過程で、普段は考えもしない、「人間は二足歩行をどうやってするのか?」、「なぜ人間はまばたきをするのか?」ということを必死に考えるようになると言います。

また、最近では「進撃の巨人」などグロテスクなマンガがヒットし、「子供がこんなものを見ては危ない」と考える親も多いのかもしれませんが、これは心理・精神分析の観点からすれば、現代は社会が清潔になり過ぎてしまい、相手を殴って喧嘩したり、川で泥まみれになったり、おもいっきりコケて怪我をしたりなど、子供たちが潜在的に一度は経験してみたいと心の中で願っている欲求を架空のマンガの世界の中で満たしているのだと言います。(13)

確かに、そういったグロいコンテンツを子供が大量に消費することで、子供が暴力的になってしまうと意見があるのも事実です。しかし、心理臨床家の米倉 一哉さんによれば、むしろグロい概念や関心を無理やり抑え込んでしまう方がよっぽど危険で、それこそ実生活で爆発してしまう可能があるのだそうです。


↑グロいマンガやアニメが流行るのは社会があまりにも清潔すぎるからである

マンガは文字と絵とコマ割りという3つの要素が組み合わさって情報を伝達するため、情報伝達力が圧倒的に高く、私たち日本人は日常でマンガを読んでいるため、当たり前だと思っているかもしれませんが、海外のほとんどの人はマンガを上手く読むことができず、この何の苦悩もなく、ほぼ無意識に物語に深入りしていくという「メディア・リテラシー」は日本人特有のものだとも言えます。(14)

手塚治虫は300ページのマンガを描くのに1000ページ描いて、700ページはボツにしたと言われています。限られたスペースの中で、読者の読むスピードを計算して、ペラペラめくっているだけでも勢いのあるストーリーをつくるためには、マンガの中でそのキャクターが一番必要としている言葉や動きをマンガ家が選択して描いてあげることで、「キャラクターがコマの中で勝手に動き出す」という状態をつくってあげる必要があるのです。(15) (16)


↑一番必要としている動きや言葉を描いてあげることで、「キャラクターがコマの中で勝手に動き出す」(image: L&C)

そして、マンガは画力が上がれば上がるほど、物語を伝える力が上がっていくことになります。井上雄彦さんはスラムダングを書き終えて、バガボンドを描いていく中で、描く道具をペンから筆に変え、従来のマンガのルールである文字・絵・コマ割りという制約を取り払って、マンガを美術館や壁に展示するという新しい試みにも挑戦しました。

井上雄彦さんは2008年〜2010年にかけて行われた「最後のマンガ展」についての意気込みを次のように述べています。(17)

「マンガを描く仕事は、制約と義務に満ちている。決められた枠の中に同じ人物を幾度となく描き、さまざまな振る舞いをさせて言葉を喋らせて、物語の意味を正確に伝えなければならない。その枠から出たい、自由になりたい。その思いが、僕を『空間』へと向かわせた。」

「マンガはどうやら、漫然とただ壁に貼っても読めるものにはならない。一枚の大きさ、壁と読者との距離、読む歩幅、どれをとっても、最適値がわからない。だが、ここにわずかでもストレスを感じると読者は物語に没入できなくなってしまうため、それを割り出すためには実験を繰り返すしかなかった。」


↑様々なイノベーションを経て、マンガがついに現実の世界に飛び出した。(image_flickr_Hannah Swithinbank)

「オバケのQ太郎」や「パーマン」などの作品などで知られる藤子不二雄Aこと安孫子素雄さんは、井上雄彦さんのバガボンドのキャラクターの髪の毛を一本、一本、筆で描いていることに感動し、思わずファンレターを送ってしまったと述べていますが、世界で圧倒的なクオリティーを誇るマンガやアニメは今も確実な進歩を遂げています。

戦後は、マンガ家やアニメーターは小説家や芸術家などよりも格下に見られ、世の中的にも「マンガやアニメなんか見ていると将来ろくな大人になれない」と言われていたのが、今では小説家や芸術家と同等、もしくはそれ以上の評価を受けるようになったのは時代の大きな変化の表れとも言うことができるでしょう。

マンガとアニメはハリウッド映画やイギリスの音楽に匹敵するほどの文化的パワーを持つ。


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戦後から一通して日本の経済を支えてきたのは、家電や自動車などを中心とした「ハードパワー」で、近年まで自分たちの文化を通じて海外に影響力を拡大させる「ソフトパワー」の力が日本人には足りないとずっと言われ続けてきました。

しかし、高度経済成長期を通じて日本が豊かになって経済が成熟し始めると、日本人はただ単に生産性を上げることだけではなく、自らの文化もしっかりと楽しむようになり、日本独自のテイストで新たなコンテンツを創り出す能力を発揮し始め、マンガやアニメはハリウッド映画やイギリス音楽のように強力なソフトパワーとしての地位を確立しつつあります。


↑日本のマンガやアニメはハリウッド映画やイギリス音楽に匹敵するほどの文化力を持つ (image:L&C)

2002年から2010年までオックスフォード大学に在学した羽生雄毅さんは、入学当初は大学の友達に「アニメとマンガの違いって何なの?」と聞かれる程度でしたが、時間が経つにつれて周りに日本のアニメやマンガ好きな人たちが増えていき、2005年にはアニメの上映会、2008年にはニコニコ動画で「歌ってみた」を投稿する人たちがどんどん増えていったそうです。(18)

また、外務省の「アニメ外交」の研究者として世界11ヶ国15都市で3000人の若者と接してきた櫻井孝昌さんは、マンガやアニメの話を聞く時の海外の人たちの嬉そうな表情を、現在経済不況に苦しむ日本のすべての人たちに見せてあげたたいと述べています。


↑もう日本好きのオタクだけではなく、海外のエリートがマンガやアニメを当たり前に見る時代である

日本でもそうですが、従来のアニメやマンガ好きな人は、アキバ文化を象徴する「オタク」と見なされ、少し近づきにくいという感じがありました。

ところが、オックスフォード大学などでも増えてきている「オタクエリート」と呼ばれる人たちは、教育水準が高く、見た目も全然普通で、卒業後は投資銀行やコンサルティング・ファームに就職したり、政治家になったりと世の中の中心になっていく人たちですし、アジアではオタクグッズを購入するにはそれなりのお金がかかるため、日本のオタクカルチャーにのめり込める人たちは裕福な家庭に育ち、良い教育を受けてきた人たちだと言えるでしょう。


↑決して裕福ではないアジアの国々で日本文化が好きな人たちは、比較的裕福な家庭に育ち、しっかりとした教育を受けてきた人たちである

よくよく考えてみれば、いまはグーグルやフェイスブックなどに引っ張りだこのスーパーエンジニアたちは、今でこそ、筋トレをしたり、食事に気を使って良いイメージの人たちですが、少し前はコンピュータオタクと呼ばれ、周りからかなり気持ち悪がられていたことでしょう。

クリエイターの高城剛さんは「少し気持ち悪いの先に未来がある」と述べていますが、携帯電話が普及する前は、どこにいても電話がかかってくるなんて気持ち悪いと言ったり、シェアハウスやシェアオフイスなどあかの他人と空間を共有するなんてありえないと考える人たちが普通にいました。

しかし、今ではそれが当たり前になっているように、2020年の東京オリンピックが始まるころには「オタクエリート」という概念が当たり前になってくることでしょう。

ITの世界もかつてビル・ゲイツが述べていた通りになってしまいましたから。

「オタクには親切に。あなたたちは、いつか、彼らの下で働くことになるでしょうから。」(ビル・ゲイツ)

まとめ「もうマンガを読まない人は会社には必要ない。」


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スラムダングの安西先生の名言である「あきらめたら、そこで試合終了ですよ」やワンピースの「自分の強みを最大限に活かし、苦手なところは仲間に任せる」という概念をアニメやマンガの力を借りずに伝えようとしたら一体どれだけ大変でしょうか。

大人になってからも、もちろんそうですが、特に子供の時や、青年期に長時間触れたコンテンツは、確実にその人の人格形成に大きな影響を及ぼすことでしょう。

例えば、アメリカのグーグルなどがつくるロボットは人間のために働き、人間に奉仕するという概念でつくられているため、特に愛想や表情もなく無愛想ですが、ドラえもんを当たり前に見て育っている日本人がつくるロボットは、ソフトバンクのPepperなどを見てもどこか愛想があり、人間に奉仕するためのロボットというよりは、人間と共に暮らしていくためにつくられたロボットという感じがします。


↑アニメが与える影響力は果てしなく大きい。ドラえもんは日本人にはつくれても、欧米人には絶対につくれない (image: L&C)

考えてみれば、20世紀のエンターテイメント・コンテンツはアメリカのハリウッド映画やディズニーなどが中心で、世界の人たちはそれらのコンテンツを何気なく消費しながら、自らの中にアイデンティティを形成していきましたし、アメリカもこれらのコンテンツをしっかりと文化的な外交に利用して、アメリカの影響力を強めていきました。(19)

しかし、21世紀初頭に爆発的に普及したインターネット環境が違法アップロードも含めて、日本のアニメやマンガを広げるきっかけになり、20世紀のハリウッド映画やディズニーはアメリカのグローバリズムの概念が軸となって広がっていったのに対し、日本のアニメやマンガは日本人自身もが気づかないうちに、インターネットを通じて、極めてローカルな視点でどんどん世界に広がっていったのです。


↑政府は「クールジャパン」など言っているが、実際、新しい日本文化を世界に広めたのは政府ではなくオタクたちである(image_flickr_JoshBerglund19_CC)

日本のアニメやマンガが広がっていった背景を見ると、様々な特殊な日本の環境の上に、まだ、「マンガなんて読んでいたらろくな大人になれない」と言われていた頃から、先人たちが切り開いていった道が重なって成熟し、今はそれが立派な日本文化としての地位を確立しているのでしょう。

ドラえもんの作者、藤子・F・不二雄さんは仕事場で「のび太のねじ巻き都市」の原稿を書いている最中に、鉛筆を持ったまま亡くなり、手塚治虫さんの亡くなる前の最後の一言は「頼むから仕事をさせてくれ」だったと言います。


↑まだマンガやアニメが格下に見られていた時代に、先人たちが切り開いた道が成熟し、ついに市民権を得た(image L&C)

そして、今も井上雄彦さん、尾田栄一郎さんをはじめ、締め切りに追われながら必死にコンテンツをつくる人たちと、そのコンテンツを比較的安く、大量に消費する日本の市場が新しい日本文化を支え、世界ダントツのクオリティーを維持しながら、さらに新しいものを生み出し続けているのです。

そう考えれば、自動車や電化製品など、「ものをつくる」ハードパワーから、「文化をつくる」ソフトパワーに移行する転換期を迎えている現在、ハリウッド映画に匹敵するほどの新しい文化をつくれる可能性を持っているということでしょう。

そういった意味でも、まずは日本人自身がビジネス本など捨てて、もっともっとマンガを読んだり、アニメを見るようにしなければなりません。大して中身のないビジネス書なんかよりも、マンガのほうがよっぽどためになって、圧倒的に安いのですから。

参考書籍

■1.堀江 貴文「面白い生き方をしたかったので仕方なくマンガを1000冊読んで考えた →そしたら人生観変わった」KADOKAWA、2016年 ■2.酒井 亨「アニメが地方を救う! ? – 聖地巡礼の経済効果を考える」ワニブックス、2016年 P232〜236 ■3.藤子 不二雄A「81歳いまだまんが道を…」中央公論新社、2015年、P188 ■4.ジャクリーヌ ベルント「マンガの国ニッポン―日本の大衆文化・視聴文化の可能性」花伝社、2007年 P9 ■5.井上雄彦・伊藤比呂美「漫画がはじまる」スイッチパブリッシング、2008年P86 ■6.内田 樹「街場のマンガ論」小学館、2014年 ■7.井上雄彦・伊藤比呂美「漫画がはじまる」スイッチパブリッシング、2008年P138■8.竹宮 惠子・内田 樹「竹と樹のマンガ文化論」小学館、2014年 ■9.竹宮 惠子・内田 樹「竹と樹のマンガ文化論」小学館、2014年 ■10.内田 樹「街場のマンガ論」小学館、2014年 ■11.川上 量生「コンテンツの秘密 ぼくがジブリで考えたこと」NHK出版、2015年 ■12.宮崎 駿「風の帰る場所 ナウシカから千尋までの軌跡」文藝春秋、2013年 ■13.鈴木 信行「宝くじで1億円当たった人の末路」日経BP社、2017年 ■14.伊藤 遊・谷川 竜一・村田 麻里子・山中千恵「マンガミュージアムへ行こう」岩波書店、2014年 P30 ■15.藤子 不二雄A「81歳いまだまんが道を…」中央公論新社、2015年、P41 ■16.内田 樹「街場のマンガ論」小学館、2014年■17.表智之・村田麻里子・金澤韻「マンガとミュージアムが出会うとき」 臨川書店、2009年 P144 P147 ■18.羽生 雄毅「OTAKUエリート 2020年にはアキバカルチャーが世界のビジネス常識になる」講談社、2016年 ■19.櫻井 孝昌「アニメ文化外交」筑摩書房、2009年

その他、記事を書くために参考にした書籍

■阿部美穂「モンキー・D・ルフィの『D』はドラッカーだった」経済界、2011年 ■野村 達雄「ど田舎うまれ、ポケモンGOをつくる」小学館集英社プロダクション、2017年 ■伊藤 公雄「マンガのなかの『他者』」臨川書店、2008年 ■手塚 治虫「手塚治虫エッセイ集成 映画・アニメ観てある記」リットーミュージック、2017年 ■樗木 厚「マンガで小学国語力アップ―小学生から大人まで」浪速社、2016年 ■清水 勲「日本近代漫画の誕生」山川出版社、2001年 ■養老 孟司・牧野 圭一「マンガをもっと読みなさい―日本人の脳はすばらしい」晃洋書房、2005年 ■増田 弘道「アニメビジネスがわかる」NTT出版、2007年 ■増田 弘道「アニメビジネスがわかる」NTT出版、2007年 ■福元 一義「手塚先生、締め切り過ぎてます!」集英社、2009年 ■板越 ジョージ「結局、日本のアニメ、マンガは儲かっているのか」ディスカヴァー・トゥエンティワン、2013年 ■種田 陽平「ジブリの世界を創る」KADOKAWA/角川書店、2014年 ■辻 秀一「スラムダンク勝利学」集英社インターナショナル、2000年 ■原田曜平「新・オタク経済 3兆円市場の地殻大変動」朝日新聞出版、2015年

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