1998年、日本は90年代から始まった「Jポップバブル」の絶頂期にいました。1998年の1年間だけで、現在の約3倍近くにあたる4億5717万枚のCDを売り上げ、国民一人あたりのCD購入枚数で考えると、当時の日本は人類史上最も多くのCDを買っていた、世界でも稀に見る音楽消費大国だったのです。(1)
戦後、日本が追い求めてきた経済成長が完成の領域に達し、経済だけではなく、文化のクオリティーまで世界レベルに追い上げようとしていた80年代後半〜90年代後半には、宇多田ヒカルや椎名林檎など、今までにいなかった個性的なミュージシャンが次々と生まれ、Dragon Ashの快進撃などもあってヒップホップが市民権を得て、それまでは洋楽しか聞いていなかった音楽好きの間でも、「最近のJ-POP良くね?」という人達がどんどん増えていった時期でもありました。
↑経済で圧倒的な地位を得た日本は、文化でも同じクオリティーの地位を求めようとしていた。
当時は特に音楽に興味がない人でも「Hey!Hey!Hey!」や「ミュージック・ステーション」、「カウントダウンTV」を当たり前に見ていて、街の中はCDの宣伝ボードだらけでした。
音楽市場が3分の1に縮小し、AKB、嵐、そしてK-POPしかない現在と比べれば、90年代後半というのはメジャーからそうでない音楽まで、すべてのジャンルに光が当たっていたすごい時代であったということは、今の音楽不況と言われる時代からはとても想像がつきません。
↑今では考えられないほど、様々ジャンルの音楽に光が当たっていた。
しかし、日本人が世界で最も音楽を聞いていた90年代、音楽産業がどんどん大きくなるにつれて、音楽は作品ではなく商品になり、短期間で物凄い数の曲をリリースすることで、音楽自体が消耗品になっていったこも事実です。(2)
まだ、名前も聞いたことのない新人のミュージシャンの歌がテレビドラマとタイアップし、音楽番組に出演すれば、次の日には3万枚しか売れていなかったCDが60万枚に跳ね上がり、エイベックスは新しい歌手がデビューする前に取材100本ノックを行い、露出をできるだけ増やして話題性を作ることで、CDをどんどん売るという「ヒットの方程式」に従って音楽ビジネスを急激に拡大させていきました。(3) (4)
↑90年代「ヒットの方程式」に従って音楽はどんどん消耗品になっていった。(Daniel Ansel Tingcungco) (CC)
また、90年代の音楽業界はプロデューサーの時代とも言われています。
それ以前は作詞、作曲、編曲は基本的にすべて分業とされていましたが、小室哲哉やつんくといった音楽プロデューサーはそれをすべて一人で行い、徹底的に売れることを意識した曲を作ることで、音楽がどんどん単純化・幼稚化されていく方向に進んでいきました。
小室哲哉は「罪と音楽」の中で当時を次のように振り返っています。(5)
「よくよく考えると、それは自分が撒いた種だ。Jポップが幼児性を強めてしまった原因の一端は、僕にあるのだから。テレビのオーディション番組『ASAYAN』から登場した鈴木あみとモーニング娘。が売れ始めた頃から、その傾向があからさまになった。その意味では、『小室哲哉の罪』と言われても仕方ない。」
「自分では止められないあの感じ。もっともっと、と知らず知らずのうちにTOO MUCHになっていく過食症的症状。それを共有できるのは、つんく♂さんだけだと、僕は思っている。」
「僕に限っていうと、当時は、いかに簡単な表現にするか、いかに伝わる速度を上げるかに囚われていた。その結果、NHK『みんなのうた』にかぎりなく接近していくわけだ。」
↑音楽がどんどん商業的になるにつれて、より単純で幼稚な「みんなのうた」に近づいていく。(Dennis Amith) (CC)
そして、日本の音楽産業が海外と大きく違うのは、日本人は音楽を「聴く」よりも、カラオケなどで「歌う」民族であり、1990年代、音楽の作り手がサビのメロディを分かりやすくし、カラオケで歌われやすい歌を作ろうと意識していたことが、工業製品的な商品としてのJ-POPを大量生産していくことになりました。(6)
クオリティーだけには絶対に妥協したくなかったX JAPANのHideは「ROCKET DIVE」という歌を自分で作っておきながら、「つれぇなぁ、この曲…..こんな歌、難しくて歌えるかよ!」と嘆いていたそうですが、その一方で若者の間では、テレビで流れている新曲をカラオケで歌うという流行消費の形がどんどん一般的になっていくことになります。(7) (8)
↑「聴かれる音楽」よりも、カラオケを意識した「歌われる音楽」がどんどん量産されていく。
しかし、どんなことでもそうですが、あまりにも度が過ぎると、それに逆行する力が出てくるのも世の常というものです。
YOSHIKIがX(のちのX JAPAN)としてデビューするために最愛のメンバーと作ったアルバムは、Xを型にはめようとした者たちへの宣戦布告であり、彼らの目指す成功とは、分かりやすい単純な音楽を作ることなどではもちろんなく、誰もが認める美しく激しい曲を作り、アルバムを世の中のポピュラーソングと同じく60万〜70万枚のセールスを収めることでした。(9)
80年代にも息苦しく管理された歌謡アイドルの世界に「NO!」を突きつけて、ハウンドドック、ブルーハーツ、レベッカ、BOØWY、そして尾崎豊などが現れたように、90年代にも反幼稚化の代表格として、「聴く人に考える時間を求める」Mr.Childrenが台頭し、幼稚化への反動かどうか分かりませんが、90年末には椎名林檎、Dragon Ash、くるり、aikoなど様々な個性的な音楽が生れてくることになります。(10) (11)
そして、20世紀の大掃除として、宇多田ヒカルのデビューがすでに飽きられ始めていた小室哲哉の時代にとどめを刺すことになるのです。(12)
↑小室哲哉の時代を終わらせた宇多田ヒカル。 (Dennis Amith) (CC)
宇多田ヒカルは自ら作詞・作曲を行い、編曲、プロデュース、そして最終的にはプログラミングも含めてすべての音を自ら統括し、プロデューサーが音楽界と芸能界のパイプ役として活躍する時代の終焉を加速させました。
また、従来の「ヒットの法則」に従ったデビュー戦略は音楽、テレビ、広告が共存していて、テレビCMやドラマとタイアップすることで曲を広げていく手法が王道でしたが、音楽ジャーナリストの宇野維正さんによれば、宇多田ヒカルのデビューはクラブ関係者やDJへの楽曲提供とラジオが主戦場で、テレビ番組などとタイアップはほとんど世間の人々に印象を与えるものではなかったと述べています。(13)
↑宇多田ヒカルのデビューは、従来の「ヒットの法則」とは明らかに違うものであった。
同じ音楽家であり、子供の頃から宇多田ヒカルの才能を見抜いていた彼女の両親は、宇多田ヒカルがデビューするにあたって東芝EMIと契約する際に、「彼女の自由に音楽を作らせ、彼女が作った作品に対しては第三者が手を加えない」という条件を付けたことが、宇多田ヒカルの音楽が「商品化」されなかった大きな要因なのかもしれません。
宇多田ヒカルと同じ1998年にデビューした椎名林檎やaikoもデビュー時から大きなプロダクションに属しませんでした。(14)
宇多田ヒカルがデビューした辺りから、音楽はプロデューサーが主導で作る時代から、個人のアーティストが自由に表現できる時代にシフトし始め、この頃から音楽、テレビ、広告が共存していた「ヒットの法則」の効果が少しずつ薄れ始めることになります。
↑プロデューサーが主導で音楽を作る時代から個人のアーティストが自由に表現できる時代へ。(kazamatsuri) (CC)
「TKブーム」という社会現象を起こし、CDの総売上枚数は1億枚以上とも言われた小室哲哉は、次第にヒットを生み出さなければいけないというプレッシャーが大きくなり、金銭感覚は「5万、50万、500万、5000万、5億」と区別がつかなくなったと最近のインタビューで述べています。
しかし、宇多田ヒカルや椎名林檎の音楽や話を聞いていると、やはり音楽は「商品」などではなく、「作品」なんだということを改めてよく理解することができます。
宇多田ヒカルは自分の創作活動について次のように話します。(15)
「私にとって『歌詞を書く』という作業は、自分の無意識の中に隠れてる答えを明るみにひっぱり出すきっかけを作ることだ。」
「自分のことがよくわからなくなったり、人生に悩んでもやもやした気持ちが溜まることもあるだろう。 そんな行き場の無い不安やストレスを、遊びまくったり酒飲みまくったり、女遊びしたり、カラオケで歌いまくったり、バッティグセンターで発散するのもいいけど、それらはその場しのぎの逃避でしかない。 いくら体が疲れても、なんか疑間が残んない? 」
「もやもやを振り払うたった一つの方法は、例えば、歌を創る、文章を書く、写真を撮る、絵を描く、といった創作活動なんじゃないか。 それもまた逃避の一つであるけど、やみくもにエネルギーを無駄遣いするのとは大きく違う。 創作行為って不思議。 ただのストレス発散とは違って、内なるプロセスなのに、自分とは別の、形あるものが残る。」
↑「作品」としての音楽と「商品」としての音楽。 (JaggyBoss) (CC)
また、椎名林檎は音楽制作を次のように述べます。(16) (17)
「曲を作るのは排泄と同じくらい自然なこと。」
「誰かと一緒にスタジオで制作するっていうのはセックスみたいなものだから。 こうしなきゃああしなきゃって言い過ぎると服も脱げないでしょ? そこは一番気をつけます。 あまり褒め合うのも駄目だし、自分だって緊張しちゃうもの。 」
「そもそもオファーしている時点で、相手が魅力的だという前提は間違いないわけですから、あとは変に空回りしないよう、どうベッドに持ち込むか。 誰かに何かをお願いする時は、むしろそこしか気にしていないです。」
↑音楽制作とは、変に空回りしないようにどうベッドに持ち込めるか。
そして最終的に、巨大な資本のバックアップを得て、商品化されてしまった浜崎あゆみが故意にアルバムの発売を合わせて宇多田ヒカルに挑戦し、日本人が最もCDを買った「日」として記憶された2001年3月28日の「宇多田ヒカル『Distance』vs 浜崎あゆみ『A BEST』」を経て、現在では大量の宣伝費を投下したからと言って、音楽が売れる時代ではなくなりました。
CDを買うことがなんとなくクールな時代に、「なんとなくCDを買っていた人達」がなんとなく自然にCDを買わなくなり、逆にリスナーの耳が肥えてきたせいか、個性溢れる音楽がどんどん評価されて、メジャーCDの売上がどんどん下がっています。(18) (19)
↑音楽産業が縮小して、やっと個性的なミュージシャンが評価され始めた。
1990年代のJ-POPバブルを経て、2010年代に入ると「CDが売れていること」と「曲が流行っている」ことが必ずしもイコールにはならなくなりました。(20)
確かにまだ2000年代には、オリコンランキングのトップ10に入るような曲を聞いている人が僕の周りにも沢山いたような気がしますが、2010年代になってAKB、嵐、そしてEXILEの歌をめちゃくちゃ聴いてるという人にあまり会った記憶はありません。
それどころか、検索履歴やSNSの普及によって、個人が消費する情報やコンテンツはパーソナライズされ、フィルターやバイアスもかけられて、自分が好きな情報だけを消費するようになったことで、親子三世代、日本全体が宇多田ヒカルのような一つのヒット曲に夢中になる時代ではなくなってきているように思います。(21)
↑もう「CDが売れている」=「曲が流行っている」わけではない。 (Dennis Amith) (CC)
現在から90年代の音楽産業を振り返ってみることで何が分かるのでしょうか。毎日のように音楽番組を見て、毎月CDを買っていた90年代、僕たちは音楽業界に養殖され、決まった時間に音楽というエサを与えられていた魚だったのか、それともあのようなJ-POPバブルが現在の日本の音楽に良い影響を与えているのか、それは時代が進むにつれて少しずつ明らかになっていくことでしょう。(22)
音楽ジャーナリストの柴那典さんは、著書「ヒットの破壊」の中で、2010年代の大きな変化として、90年代のJ-POPバブル時代に10代だったミュージシャン達が、海外の音楽に憧れ、それをマネたような音楽を作るのではなく、自らが聴いて育った日本のロックやポップスをルーツに、それを発展させた「純国産」の音楽を作るようになってきていることを指摘しています。(23)
いきものがかりはその典型的な例ですが、「キセキ」などの名曲で知られるGReeeeNも90年代、Hi-StandardやDragon Ash、そしてRhymesterなどから大きな影響を受け、自分たちのやりたい音楽がパンク、メタル、ヒップホップなど混ぜ合せた「ミクスチャー・ロック」であることを自覚したとある書籍の中で振り返っています。(24)
↑2010年代から洋楽に憧れない「純国産」の個性的な音楽が増えてきた。
桑田佳祐も1980年代後半のインタビューで、「日本人も中国人も韓国人がやるロックも、いずれ近いうちに全て英語になる。俺たちもいずれは海を渡っていく」と発言していますが、最近の書籍の中で、「やっぱり自分の最大の武器は日本語以外無いな」と述べており、言葉の羅列やインパクトだけではなく、文として、詩として、読むに値し、小説家の人達とも歌詩で勝負するぐらいの気持ちで活字にこだわると語ります。(25)
ケツメイシに至っては、CDの発売日をわざと大物アーティストの発売に合わせ、チャート1位にならないことを目指すことで、音楽業界の波に左右されず、長く愛されるアーティストでありたいという姿勢を徹底し続け、いい音楽を作ろうと努力しているのです。(26)
↑長く愛されるアーティストを目指すなら、一時のブームで終わるような売り方はしないはずだ。
ただ、近年のオリコンチャートを見るとAKB、嵐の独占状態で、音楽チャートはその国の現在の文化のレベルを表すとも言われ、音楽業界に限らず、さまざまな業界で幼稚化の現象が加速しています。
しかし、村上春樹さんの小説が売れたり、映画「君の名は」が社会現象にまでなっているのを見ると、今だに「クオリティーを求める人々」が健在なことは明らかです。20年、30年と残る音楽は、ほんの一握りなのかもしれませんが、長い間忘れられない音楽を一つでも多く作っていくことが、いつの時代もミュージシャンと呼ばれる人達の本当の役目なのでしょう。
↑どんどん幼稚化する世の中でも、クオリティーを求める人は今だに健在。
生き物の心臓は生涯で約20億回打つと言われます。その過程でネズミのような体の小さい動物ほど心臓を打つスピードが速いため寿命は短く、ゾウのように体の大きい動物ほどそのスピードが遅いため、寿命は長くなるそうで、フォークシンガーの松山千春さんは自分の音楽活動を次のように名言しています。(27)
「お前たちに言っておきたいんだけどさぁ。歌の世界でだぞ。今日、明日、評価が出る歌は私は歌えませんと。ましてや、オレの歌もな、今日、明日、皆さんに評価してもらおうと思って歌ってません。」
「100年が経ち、200年が経ちよ、500年が経って、お前たちの5代先、6代先の子孫が手にした時、日本になんて素晴らしいシンガーソング・ライターがいたんだろうって、そうゆう評価が出るかもしれん。」
「(なぜ、紅白歌合戦に出ないのか尋ねられて)あー、また2流、3流の歌手が出て頑張ってるねぇ、と思って観てるよ。」
↑すぐに評価を求めれば数年で忘れられ、価値が変わらない普遍的なものを作れば、何百年後でも思い出してもらえる。
また、松山千春さんは小室哲哉が絶頂期だった90年代に、音楽について、本人に次のようにアドバイスをしたと言います。
「そりゃ、小室は能力はあるし、色々出てくる女の子達も、まぁ、そこそこの見栄えもする女もいるけど。あの子たちの歌ってのはさ、誰が歌っても一緒だしさ。彼女たちよりも上手な歌を歌っている人たちも沢山いるんだけど。」
「オレは小室にはちゃんと言ったんだけど。おまえ、流行歌を作るなと。お前能力はあるんだから。多少はね。だから流行歌は作っちゃいけない。10年経って、20年経って、果たしてglobeの歌をね、みんなどんな風に思うだろうか。」
「ただ、懐かしいなぁと思うような音楽だったらね、お前作る必要ないよと。それよりも普遍的な、何十年経っても、やっぱりこうゆう人がいたんだ。こんな素晴らしい音楽を残してくれた人がいたんだ、みたいなね、そうゆう音楽をちゃんと作っていった方がいいよ、みたいなね話は小室にはしたよ。」
↑流行りの音楽を作るのはビジネスマンの役目、普遍的な音楽を作ることがミュージシャンの役目。
90年代、小室哲哉はいい音楽をしっかり売るために、テレビやCMなどを使って何度も何度も曲を流し、人々に「刷り込ませる」ことが大事だと解きました。
しかし、J-POPは死んだと言われ、それぞれの個人が自分の好みの歌だけを聴く時代に「ありがとう」や「エール」など、人生の節目、節目でみんなが共通して歌える歌を世に送り出しているいきものがかりのリーダー、水野良樹さんはテレビやCMで自分たちの音楽が流れることを「曲の出口」という言葉で表現します。(28)
↑90年代、いい音楽を売るために巧妙な刷り込みが必要だった。
「ただ単に、僕が曲を作って、それをレコーディングしてホームページで公開したとしても、それを聴いてくれる人は果たしてどれだけいるだろうか?って思うんです。 」
「ライブだって同じですよね。会場まで足を運んでくれた人じゃないと曲を聴いてくれない。僕は社会に影響を与えるということに憧れて音楽をやっているので、やっぱり曲の出口を得なきゃいけないということはすごく思っているんです。そうい意味でタイアップが重要であることは確かです。」
↑2010年代、テレビやCMは音楽の「刷り込み」という入り口ではなく、最終的な出口。
色々な意味で共有することが容易になった現在では、90年代のように、特に音楽を戦略的に刷り込む必要はなくなりました。CDが売れていなくても、仮に違法な形で共有されていこうとも、いい楽曲というものは曲が勝手に一人歩きして広がっていくものなのでしょう。
むしろ、昔、友達のあいだで回し合い、多くの人に渡って、手あかまみれになったCDのように、CD自体の売上なんかよりも、いかにどれだけ「他人に共有したい」と思われるかが、長い目で見た時の音楽の本当の価値なのだと言えるのではないでしょうか。
↑CDの販売枚数なんかよりも、他人に共有したいと思わせる音楽に本当の価値がある。
いきものがかりの水野良樹さんは自身の著書の中で、あるお弁当屋さんでの出来事を次のように書いています。(29)
「不意に“ありがとう”が店内の有線から流れた。 “あ、これ、ゲゲゲの曲だ。私、この曲好き” 奥さんがそう言うと、それに旦那さんが応える。“あぁ、いい曲だよね。ありがとうって伝えたくて~” 旦那さんが、 鼻歌を歌う。奥さんが、笑う。」
「(中略)日常の何気ない夫婦の会話が、ただ、そこにあるだけだ。 それが、やけに嬉しかった。名も知らぬ誰かの日常へと、歌が届いている。自分たちの存在なんかよりもはるかに優しく、はるかに身近な存在として。歌だけがちゃんとひとり歩きをして、自分たちが直接出会えないひとの、そのすぐ隣まで。」
↑心を込めて作った音楽は、届くべき人にちゃんと届いてるじゃないか。
90年代のJ-POPバブルの最盛期に比べると、音楽市場は3分の1程度に縮小し、オリコンチャートを見ても、とても他人にオススメしたいような音楽はないかもしれません。
しかし、小室哲哉などの音楽プロデューサーが、宇多田ヒカルなど90年代後半にデビューしたアーティストたちの土台を作り、J-POP最盛期に様々な音楽を聴いて育ったGReeeeNやいきものがかりが作った洋楽コンプレックスのない純国産の音楽は、チャートの順位なんかに入らなくても現在の日本人の心にしっかりと届いています。
だから、テレビを見て「もうJ-POPなんて終わってるよね」なんて言うのはもうやめましょう。もう、「CDが売れている」=「曲が流行っている」わけでは決してないのですから。
◆参考・引用
◆1.宇野維正「1998年の宇多田ヒカル」新潮社、2016年 P54-55 ◆2.烏賀陽 弘道「Jポップとは何か―巨大化する音楽産業」岩波書店、2005年 P60〜61 ◆3.柴 那典「ヒットの崩壊」講談社、2016年 Kindle ◆4.あゆ報道班「浜崎あゆみの秘密」データハウス; 愛蔵版、2005年 P155 ◆5.小室 哲哉「罪と音楽」幻冬舎、2009年 P82 ◆6.烏賀陽 弘道「Jポップとは何か―巨大化する音楽産業」岩波書店、2005年 P112 ◆7.松本 裕士「兄弟 追憶のhide 」講談社、2010年 P213 ◆8.柴 那典「ヒットの崩壊」講談社、2016年 Kindle ◆9.小松 成美「YOSHIKI/佳樹」角川グループパブリッシング、2009年 P207 P217 ◆10.麻生 香太郎「誰がJ-POPを救えるか?マスコミが語れない業界盛衰記」朝日新聞出版、2013年 Kindle ◆11.小室 哲哉「罪と音楽」幻冬舎、2009年 P83◆12.柴 那典「ヒットの崩壊」講談社、2016年 Kindle ◆13.宇野維正「1998年の宇多田ヒカル」新潮社、2016年 P85 P86 ◆14.宇野維正「1998年の宇多田ヒカル」新潮社、2016年 P105 ◆15.宇多田 ヒカル「点―ten―」EMI Music Japan Inc./U3music Inc,2009年 P18〜19 ◆16.丹生 敦「林檎コンプレックス―椎名林檎的解体新書」太陽出版、2003年 P94 ◆17.椎名林檎「音楽家のカルテ」スイッチパブリッシング、2014年 P76 ◆18.宇野維正「1998年の宇多田ヒカル」新潮社、2016年 P215 ◆19.河野 章宏「音楽ビジネス革命 残響レコードの挑戦」ヤマハミュージックメディア、2010年 P45-46 ◆20.柴 那典「ヒットの崩壊」講談社、2016年 Kindle ◆ 21.柴 那典「ヒットの崩壊」講談社、2016年 Kindle ◆22.落合 真司「音楽は死なない!―音楽業界の裏側」青弓社、2006年 P14 ◆23.柴 那典「ヒットの崩壊」講談社、2016年 Kindle ◆24.小松 成美「それってキセキ GReeeeNの物語」KADOKAWA/角川マガジンズ、2016年 P42 ◆25.桑田 佳祐「桑田佳祐言の葉大全集 やっぱり、ただの歌詩じゃねえか、こんなもん」新潮社、2012年 P7〜8 ◆ 26.落合 真司「音楽は死なない!―音楽業界の裏側」青弓社 P113 ◆27.本川達雄「ゾウの時間 ネズミの時間 サイズの生物学」2011年、中公新書 Kindle ◆28.柴 那典「ヒットの崩壊」講談社、2016年 Kindle ◆29.水野 良樹「いきものがたり」小学館、2016年 Kindle
■その他に参考にした書籍
■福井 一「音楽の感動を科学する ヒトはなぜ“ホモ・カントゥス”になったのか」化学同人, 2010年、■津田 大介「だれが『音楽』を殺すのか?」翔泳社、2004年、■ ビーイング(監修)「きっと忘れない ZARD OFFICIAL BOOK」Jロックマガジン 2007年 ■松野 ひと実「槇原敬之の本。」幻冬舎、2004年 ■RYO from ケツメイシ「涙で家族がみえない」双葉社、2014年 ■神山 典士「小室哲哉 深層の美意識」講談社、1996年 ■小貫 信昭「うたう槇原敬之」ソニーマガジンズ 2002年 ■くるり・宇野 維正「くるりのこと」新潮社、2016年 ■桑田 佳祐「ただの歌詩じゃねえか、こんなもん」新潮社、1984年 ■中山 康樹「クワタを聴け!」集英社、2007年 ■aiko「aiko bon」ソニーマガジンズ、2005年 ■吹上 流一郎「浜崎あゆみ サクセス」コアハウス、2000年 ■宇多田 ヒカル「線―sen―」EMI Music Japan Inc./U3music Inc.、2009年 ■山口 哲一「新時代ミュージックビジネス最終講義 新しい地図を手に、音楽とテクノロジーの蜜月時代を生きる!」リットーミュージック、2015年 ■清水 量介・森川 潤・週刊ダイヤモンド編集部「誰が音楽を殺したか?」ダイヤモンド社、2013年 ■榎本 幹朗「未来は音楽が連れてくる」エムオン・エンタテインメント、2014年 ■高野 修平「始まりを告げる《世界標準》音楽マーケティング 戦略PRとソーシャルメディアでムーヴメントを生み出す新しい方法」エムオン・エンタテインメント、2014年 ■スティーヴン ウィット「誰が音楽をタダにした? 巨大産業をぶっ潰した男たち」早川書房、2016年