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2018年、2019年と2年連続で、日本で最もダウンロードされた曲に選ばれ、平成、令和の時代にその名を刻んだ米津玄師の「Lemon」は、昭和のポップソングをイメージしてつくったものだと、本人はあるインタビューで答えています。
10〜30代の昭和を知らない世代の人達が「Lemon」を聴くと、「これは米津玄師がつくった最先端の音楽だ!」と感じることでしょう。
しかし、40〜60代の昭和をガッツリ生きた人が聞くと「米津玄師はまた懐かしい曲をつくったな。」と感じるのだと言います。
↑最先端だと思っている米津玄師の歌は、実は懐かしいもの。
また、同じく米津玄師が作詞作曲した「パプリカ」という曲も、誰もが昔経験した親戚のおばあちゃんに手を引かれて海辺を歩く、懐かしい風景を思い出させるような歌詞とメロディーで歌われている。
最先端のアーティストが「懐かしいもの」をつくることで、多くの人はそれを「新しいもの」と感じる傾向があるのでしょう。
歴史家はよく未来を語る時、「未来は常に懐かしいものになる。」と言います。
手塚治虫さんも漫画「火の鳥」の中で、「過去はすでに起きた未来。未来はこれから起きる過去」という言葉を残しましたが、もしかすると、最先端だと勘違いしている米津玄師の音楽は、僕たちにとってとても懐かしいものなのかもしれません。
若者に人気の街に行けば行くほど、懐かしい。
最近では、世界で人気の街に行けば行くほど、古い倉庫の形をそのままにして、レストランをオープンさせたり、あえて古い過去の遺物を残したままになっている場所に若者が集まり始めています。
シアトルで若者が集まるガスワーク・パークでは、もう60年以上使われていない古い製油所がそのまま残っている。
ポートランドでは、もう使っていない工場の機械をあえてレストランの真ん中に置き、ロンドンでは壊れた車が積まれた広場で若者が食事をしています。
↑若者に人気の街に行けば、行くほど、懐かしいものに出会う。
米津玄師が昭和という時代を知らないのと同じように、こういった場所に集まる若者たちは、工場が可動していた時代のことなど、もちろん知らなければ、油塗れになって機械をいじったこともないでしょう。
古い倉庫の雰囲気や製油所を当時のまま残すのは、50歳以上の人達にとっては、昔懐かしい風景になりますが、年配の人達にとって懐かしいことが若者の人達にとっては最先端で新しいことになっていきます。
こういった過去の価値観が、米津玄師や人気の街をつくる若者たちによって再発見され、新しい意味が加えられて、懐かしさと新しさが融合したハイブリット化したものになっていく。
↑懐かしさの中に、新しい意味がどんどん付け加えられていく。
人間の脳は仕組み上、良い思い出だけを記憶し、悪いことは忘れてしまうようにできているのだそうです。
そう言った意味では、あと数十年で世の中の仕事のほとんどがAIに奪われるとか、2020年にはついに世界経済の底が抜けて、リーマンショックよりも遥かに大きい規模の経済ショックが来るなど、世の中の不安が煽られれば、煽られるほど懐かしさの価値は上がっていくことでしょう。
オーガニックフード、リサイクル、古く懐かしいものが何度も復活しながら、未来は少しずつ変わっていく。
よく歴史は繰り返すと言いますが、実際は全く同じ歴史が繰り替えされるわけではありません。
アメリカ人の作家、マーク・トウェインが言うように、歴史は韻を踏みながら少しずつ変わっていくもの。
多摩大学の田坂広志教授は、著書「知性を磨く『スーパージェネラリスト』の時代」の中で、物事の変化は、らせん階段を登るように変わっていくのだと述べています。
らせん階段を登っていく人を横から見ると、どんどん上に登っていっているように見えますが、これを階段の真上から見下ろすと、階段を一周まわって、また同じ位置にもどってきているように見えます。
ただし、また同じ位置に戻っているように見えても、これはらせん階段なので、一段上の階に上がっているのです。
↑また同じ位置に戻っているように見えても、実際は一段上がってレベルアップしている。
これと同じように、人類の歴史というのは、どんどん新しいものが出てきているように見えて、古く懐かしいものが何度も何度も復活しながら、少し変化していくものなのでしょう。
例えば、食料が大量生産される前は、ほぼ全員がオーガニックフードを食べていました。
しかし、食料大量生産の時代を経て、農薬などが及ぼす副作用などが問題になると、また再度、現代の世の中にオーガニックフード文化が復活しています。
また、リサイクルにしても、昔は様々な資源が貴重でリサイクルをするのが当たり前でしたが、モノをどんどん作っては捨てるという大量生産の時代を経て、再度リサイクルの文化が現代に復活しているなど、例を上げればキリがありません。
歴史は必ず「韻」を踏む。新しいものを見つけに懐かしいものが残る田舎へ行け。
昨年の年末、僕の実家の静岡の小さな街に、約80年ぶりに除夜の鐘が復活しました。僕の街の除夜の鐘は、戦時中に武器の材料にするために解体されてしまったそうで、この地域では、長い間、除夜の鐘がなかったのです。
こういった除夜の鐘も、年配の人にとってはとても懐かしいものに感じるでしょう。
でも、僕の世代にとっては新しいものであり、未来というのは、古く懐かしいものを「新しいもの」として捉えた人達が、韻を踏みながら少しずつ新しい文化をつくっていくものだと言えます。
↑古く懐かしいものを「新しいもの」として捉えた人達が最先端なものを作っていく。
そう言った意味では、これからの時代に求められる最先端のものというのは、まだ懐かしいものがたくさん残っている田舎にあるのでしょう。
長期的な未来を知るためには、ブロックチェーンやフィンテックを理解するよりも、産業革命前の世界や、明治維新前の日本がどんな感じだったのかを学ぶ方が圧倒的に近道だと言える。
AIで仕事の仕方やライフスタイルが大きく変化すると、様々なところで言われていますが、実際は、そこまで大きく変わらないのかもしれません。
↑歴史は必ず「韻」を踏む。新しいものを見つけに懐かしいものが残る田舎へ行け。
なぜなら、多くの人の生活を一新させるような大きな変化が起これば起こるほど、古く懐かしいものが台頭してくるわけですから、最終的には、新しさと懐かしいものが合わさって、ちょっと変化するぐらいの変化で落ち着くことになる。
どれだけ大きな大変革が起こったとしても、人類の進歩は「韻」を踏み外すことはないだろう。
未来は常に新しいものではない。未来とは常に懐かしいものなのだ。
参考書籍
■丸山 俊一「AI以後: 変貌するテクノロジーの危機と希望」NHK出版、2019年 Kindle