僕たちがレッドブルを買う時、エナジードリンクを買っているというよりは、レッドブルが作り出すストーリーを買っている。
そういった意味では、レッドブルはもう既に缶飲料メーカーではなく、メディア企業という位置付けなのかもしれません。
コカコーラであれば、既に有名なタレントやスポーツ選手をCMに起用して、広告代理店に巨額の予算を投下し、あたり触らずのメッセージを発信して、一気にブランドを広めようとすることでしょう。
それに対してレッドブルは、「これから」有名になるアマチュアの人々のスポンサーになることで、その人達が成長していく過程をマーケティングとして活用してきたため、僕たちはレッドブルを飲まなくても、ロゴを見るだけで「もうちょっとだけ頑張ろう!」という、身体の奥底の遺伝子がくすぐられる。
1人の人間の後ろには、100人の人達がいて、その後ろにはまた100人の人達がいるのだから、10万、100万人を動かそうと思ったら、まずは1人に「グサっ」と刺さるコンテンツを意識してつくっていく必要があります。
誰にでも受け入れられようとするコンテンツは、結局誰にも受け入れられない。
iPhoneなどの新しいものにまず最初に惹かれるのは一部の知識人で、それにつられて大衆がマネをするように、大衆が知識人の影響を受けることはあっても、知識人が大衆から影響を受けることはほとんどない。
そういった意味では、マーケティング的には多くの大衆を動かすよりも、1人の知識人を動かすようなコンテンツ作りをした方が、費用対効果が高いと言えるのかもしれません。