July 22, 2016
アマゾンCEO「ブロガーがこんな記事を書いたら飢え死にするぞ。」

(illustration by L&C)

日本文藝家協会のある一説によれば、文章を書くだけで食べていける人は日本で55人しかいないそうです。(1)

確かに最近では、ブログやSNSなど様々なところで文章を書き、それを何か別の形で収益に繋げるのが当たり前になりつつありますが、アメリカのデータを見てみても、ブログだけで家族を養えているのは全体の17%で、逆に8割以上の人たちはブログで毎月1万円も稼げておらず、ブログ大国と言われ、世界的に見てもブログを書く人が多い日本では、その数はさらに少なくなってくるでしょう。


↑ほとんどのブロガーが毎月1万円も稼げていない。

近年、SNSが普及し、人々のコミュニケーションが喋ることから「書くこと」へと大きく移行しつつあります。

しかし、それにともなって人々の文章力がどんどん上がっているかと言いえば、むしろそれは逆で、文章全体を考慮しない、まるで会話言葉のような細切れの文章や、長期的に読み手の心の中に残り、「何かを考えさせる文章」というよりは、簡単に感動させる、簡単に笑わせるなど、とにかくその場限りさえ楽しければそれで良い、読み手に「深く考えて」もらう暇があったら、どんどん次を出せといった大量生産・大量消費の文章スタイルが当たり前になってきてしまいました。


↑まるでジャンクフードのように、ただその場で消費するだけの記事ばかりになってしまった。

アマゾンのCEO、ジェフ・ベゾスは、「短いのに情報量が多い」と言われるワイヤード誌の編集者、ケビン・ケリーさんが書くニュースレター「クール・ツールズ」の愛読者ですが、「すみません、もっと時間があればもっと短い手紙が書けたのですが、、」という名言があるように、優れた文章を書く人は、この2文を1文にまとめられないか、2語のところを1語で言えないかなど、言葉の数を減らすことに徹底的にこだわります。(2)

そもそも日本語とは漢文の影響を大きく受け、意味が極度に圧縮されながらも、俳句の伝統が引き継がれたリズムのある美しい文章で、会話はその場で感動させることを目的にするのに対して、文章とは人々にできるだけ感銘が長く記憶されるように書いていくもので、かつて作家の浅田次郎さんはこう述べていました。 (3)


「最近の物書きはみんなパソコンで書く。文章の入れ替えが簡単にできるから、思いつくままに書いていじくり回す。だから稚拙な文章が多い。ただ自分は手書きだから、本筋をきちんとデザインしてから書いていく。」


↑ジェフ・ベゾスは「短いのに情報量が多い文章」を好む。 (Flickr/Steve Jurvetson) 

また、かつて人々は文章を書くことで、その場限りの価値や楽しみを与えるだけではなく、この宇宙最大の力である「時間」に対抗しようとしてきました。

作者が亡くなっても、書いた文章は時代を超えて残るため、僕たちが読書をする時は「過去とつながりたい」と思いながら本を読み、そして文章を書く時には「未来へつながりたい」という想いを抱いて筆を取るものですが、現在はとにかく質の低い文章が大量生産されているため、その場で読み捨てられ、忘れ去られて、人間の最大の欲求である「時代を超えた人たちと繋がりたい」という概念が急速に衰え始めています。(4)


↑かつて、文章を書くということは「未来へつながりたい」という意志表示であった。

文脈を持たない偉人の名言がまとめサイトにいくら綺麗にまとめられていても、ちっとも感動しません。

本当に良い文章とは、読んでいるうちに頭の中で映像化されてくるもので、加工されただけのコピペ文章や、安価でアウトソーシングしたコンテンツなどは、書き手の頭の中に伝えたい明確な映像がないため、短期的にアクセスを稼ぐことはできても、長期的には何の付加価値も生み出すことはなく、日々生み出されている他のコンテンツと一緒にインターネットというブラックホールの中に消えていってしまいます。


↑書き手の熱い”何か”が必要「9割のウェブ上の記事はインターネットというブラックホールに消えていく。」

さらに、ニュースは人々に情報を与えますが、本当に良い記事やコラムというのは、「この視点や見方はなかった」、「あなたが書いたことは前からずっと感じていたんだけど、何と表現していいか分からなかったんだ」など読み手のリアクションを生み出す文章であり、「天才!」や「急に売れ始めるにはワケがある」の著者で、アメリカのベストセラー作家でもあるマルコム・グラッドウェルは、優れた文章について次のように述べます。(5)

「優れた文章かどうかは、人を説きつける力で決まるものではない。(中略) 優れた文章かどうかは、読む者を引きずりこみ、何かを考えさせ、 誰かの頭の中を“垣間見せる”力によって決まる ─ ─ たとえ読んだあとに、その誰かの頭の中があまり居たくない場所だったとしても、 だ。」


↑優れた文章とはリアクションを起こさせる、仮にそれが嫌ものだったとしても。

当たり前のことかもしれませんが、リアクションを生み出したり、読み手に何かを考えさせたりするような文章を書くにはもの凄い量の時間が必要となります。

ハリーポッターの著者、J.K.ローリングは1日約500〜1,000文字、映画化された「スタンド・バイ・ミー」の著者、スティーヴン・キングは1日約2,000文字程度の文章しか書けないと言いますが、文章や記事を書くというのは、実に効率の悪い作業で、作家の村上春樹氏は小説を書くことは、「たとえば」「それはね、たとえばこうゆうことなんですよ」を永遠に繰り返す作業だとして次のように述べています。(6)

「世の中には一年くらいかけて、長いピンセットを使って、瓶の中で細密な船の模型を作る人がいますが、小説を書くのは作業としてはそれに似ているかもしれません。(中略)

長編小説ともなれば、そういう細かい密室での仕事が来る日も来る日も続きます。ほとんど果てしなく続きます。そういう作業がもともと性にあった人でないと、あるいはそれほど苦にしない人でないと、とても長く続けられるものではありません。」


↑こんな効率の悪い作業をずっと続けている人なんて、実はほとんどいないんです。

基本的に、僕たちが村上春樹氏の小説を読もうが、バイラルメディアの記事を読もうが同じ1分は1分で、消費する時間は変わりませんが、著名な作家はじっくりと時間をかけて文章を書くのに対して、常に更新していないと忘れられてしまうウェブメディアの人たちは、とにかく記事を量産するという終わりのない消耗戦をずっと続けていかなければなりません。

作家の定員は限られていませんが、書店のスペースは限られているように、ウェブで文章を書く場合でも、配信できる量に制限がないのに対して、読み手の時間は1日24時間と限りがあり、その24時間の中でどれだけユーザーの目に入るかが勝負になってくるため、時間も予算もない中で記事を次々と量産しようとする結果、文章の質はどんどん下がっていくという負のスパイラルにハマっていってしまいます。


↑記事が配信できる量に限りはないが、読み手の時間には限りがある。

数多くのウェブニュースの編集者として活躍していた中川淳一郎さんは「ウェブでメシを食うということ」という本の中で、あまりに仕事が忙しくなってしまっために、結婚を前提に付き合っていた恋人が自殺してしまった経緯を告白しています。誰でもウェブ上で大量に文章を書くことができる時代らしく、オシャレにカフェでMacbook Airを広げながら文章を書いていたいところですが、世の中はそれほど甘くないようで、中川さんはウェブ上で記事を書き、メディアを運営していた時のことを次のように振り返っています。(7)

「もがき続けていることをユーザーには知られないよう、表面上は平静を装いつつも、粛々と更新を続けなくてはいけない。地獄に行ったことはないが、 “無間地獄”という言葉はこういったことなのかもしれない。 」

↑ウェブで文章を書くというのは地獄そのもの。

恐らく、ジェフ・ベゾスはこのウェブの世界の厳しさを理解していたのだと思いますが、アマゾンのマーケティング担当のチームがしっかりと作りこんだ電子メールによるニュースレターの提案をベゾスに見せると、その場で破り捨てられ、次のようにダメ出しをしたと言います。(8)

「見出しはもっとパンチを効かせなきゃ。ひどい記事もあるな。ブロガーがこんな記事を書いたら飢え死にするぞ。」


↑ブロガーがこんな記事を書いたら飢え死にするぞ。 

もし、こうやったら上手い文章が書けるという方法が存在すれば、それは将来確実にプログラムや人工知能に代行されることになるでしょう。

作り手の感性に依存する芸術はすべて同じことなのかもしれませんが、文章を書くという行為自体は、自分の身の丈(みのたけ)の範囲内で行われるものであり、それを世の中に公開することで、良い悪いに関わらず、自分の人間性や人間としてのレベルを世の中にさらけ出していることになります。(9)


↑文章を書くということは、自分の人間としてのレベルを世の中にさらけ出すことになる。

J.K.ローリングも「あなたの文章はあなた自身を表します。だから絶対に自分の好きなことを書いた方がいいわ」と断言していますし、村上春樹氏も文章を書くことは「どう生きるか」と同じことだとして次のように述べています。(10)

「どんな風に書くかというのは、どんな風に生きるかというのとだいたい同じだ。どんな風に女の子を口説くか、どんな風に喧嘩をするとか、寿司屋に行って何を食べるとか、そうゆうことです。」

「ひととおりそうゆうことをやってみて、”なんだ、これならべつに文章なんてわざわざ書く必要もないや”と思えば、それは最高にハッピーだし、”それでもまだ書きたい”と思えば、上手い下手は別にして、自分自身の文章がかける。」


↑文章を書くことはどんな風に女の子を口説くかと同じである。

そういった意味で、質の高い記事や文章が世の中から減ってきたということは、質の高い人生、つまりカッコイイ人生を生きようとする人が減ってきているのかもしれません。

一番大切なのは書くスキルやアクセス数を上げるノウハウではなく、「自分は文章で食べていく」という姿勢であり、少なくともウェブの世界で文章を書いていく場合には、もの凄い速さで量産されるジャンク・コンテンツたちに対して、きっぱりと「No!」と言う必要があります。(11)


↑必要なのはノウハウではなく、「自分は文章で食べていく」という姿勢。

現代は、ウェブ上のメディアや文章を書くことだけに関わらず、200年ほど前から始まった産業革命を始まりとする効率性への徹底的なこだわりが見受けられますが、むしろそれよりも前の時代は、行動を先延ばして「好機をゆっくり待つこと」は、創造性を促進させるための良いことだと考えてられていました。(12)

いくら良い麦があったとしても、酵素を加えて醱酵させなければアルコールが生まれないように、文章に関しても、本を読んでアイデアという素材を仕入れ、ある一定の期間、頭の中で醱酵させなければ、読み手にリアクションを起こさせるクリエイティブな文章など生まれてくるわけがありません。(13)


↑先延ばしは「生産性の敵」かもしれないが、「創造性の源」にはなる。

近年では、いくらお金を稼ぐかよりも、人生の質(Quality of life )をどう充実させるかということに重点がおかれますが、人間は脳が活発に働き、自分がその分野で有名か有名でないかに関わらず、クリエイティブなことを考えている時に心地よい幸福度を感じる傾向にあります。その状態を自分の中に明確に位置づけて、維持したり、拡大したりできることが、今後クリエイターと呼ばれる人の成功を定義していくのではないでしょうか。(14)

ウォールストリート・ジャーナルに掲載されたリサーチによれば、良いストーリーを作ることができる男性はコミュニケーション能力も高いため、比較的女性にモテる傾向が高く、女性はこのような男性を長期的なパートナーとして考えることが多いと同誌は伝えています。


↑良いストーリーを語れる男性は、女性にモテる傾向が高い。

良い文章を書けるかは、常にどれだけ多くの良い文章に触れているかにかかっており、ジャーナリストの佐々木俊尚さんは「Webは1記事500円でもうライターがどこにもいない」と嘆いています。

文章の書き手がつまらないと思ったら、読み手は10倍つまらないというのはよく言われることで、読み手がいなければ、サイトの運営者も利益を上げることができなため、記事量産型の消耗モデルは、結局誰もハッピーになることはないでしょう。

「花火」で芥川賞を受賞したピースの又吉直樹さんは、文学というジャンルそのものに力がなくなってきており、自分たちのジャンルこそ、時代を象徴し、瞬間最大風速が吹いているような状態に戻していきたいと述べていますが、多くの作家が断言するように「文章を書くこと=生きること」なのであれば、文章の質を上げていくということは、「生きることの質」を上げる近道のように思えてなりません。(15)


↑1記事500円で飢え死に「文章の質を上げるということは、生きる質を上げるということ」

常にアクセス数を維持し、「うちのサイトは月間◯◯◯万PVあります」と言い続けるためには、アイデアが熟しきっていない状態でも、どんどん文章に落として記事にしていかなければなりませんが、こんなことをしていては、読み手と書き手の人生の質を下げるだけで何の解決にもなりません。

ウェブで文章を書く人たちが意識しなければいけないのは、いつユーザーが記事を見つけて読んでくれるか分からないけれど、その時のためにとっておきのエンターテイメント性と付加価値の高い記事を用意しておいてあげようという気持ちであり、「時間があればもっといい文章がかけたのに」などと、自分が100%納得できない文章なら、世の中に出さない方がマシなのではないかと思います。


↑自分が100%納得できない文章などわざわざ書く必要があるのか。

村上春樹氏もあるエッセイの中で次のように述べています。(16)

「『時間によって勝ち得たものは、時間が証明してくれるはずだ』と信じているからです。そして世の中には時間によってしか証明できないものもあるのです。もしそのような確信が自分の中になければ、いくら厚かましい僕だって、あるいは落ち込んだりするかもしれません。

でも『やるべきことはきちんとやった』という確かな手応えさえあれば、基本的に何も恐れることはありません。あとのことは時間の手にまかせておけばいい。」


↑村上春樹「世の中には時間によってしか証明できないものもあるのです」

一般の人が誰でも文章を書いて世の中に公開できるようになった現代、文章のクオリティを上げながら、人生の質を上げていくには、このような考え方をする人がどれだけ増えてくるかにかかっており、最終的にライターが満足感を得られるのは、精一杯書いた、ベストを尽くしたという部分だけで、お金を儲けたければ、文章を書くなんて効率が悪いことをわざわざしなくても、他にもいろいろあることでしょう。

ライターが墓場に持っていくのは、「自分なりの最高の文章が書けた!」、それだけで十分です。

なにせ、それが人生のクオリティーなのだから。

1.野地 秩嘉「SNS時代の文章術」(講談社 2016年) Kindle 2.ブラッド・ストーン「ジェフ・ベゾス 果てなき野望」(日経BP社 2014年) Kindle 3.三島 由紀夫「文章読本」(中央公論社,1995年) P7、P43 4.井上 ひさし「自家製 文章読本」(新潮社,1987年) Kindle 5.マルコム・グラッドウェル「犬は何を見たのか」(講談社,2014年) Kindle 6.村上春樹「職業としての小説家」(スイッチパブリッシング,2015年) P24 7.中川 淳一郎「ウェブでメシを食うということ」(毎日新聞出版、2016年) Kindle 8.ブラッド・ストーン「ジェフ・ベゾス 果てなき野望」(日経BP社 2014年) Kindle 9.鈴木 信一「800字を書く力」(祥伝社、2008年) Kindle 10.村上春樹「職業としての小説家」(スイッチパブリッシング、2015年) P24 11.森博嗣「小説家という職業」(集英社、2010年) Kindle 12.アダム・グラント「ORIGINALS 誰もが”人と違うこと”ができる時代」(三笠書房、2016年) Kindle 13.外山 滋比古「思考の整理学」(筑摩書房、1986年) Kindle 14.齋藤 孝「”頭がいい”とは、文脈力である。」(角川書店、2014年) Kindle 15.又吉 直樹「夜を乗り越える」(小学館、2016年) P109 16.村上春樹「職業としての小説家」(スイッチパブリッシング、2015年) P157

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